「苦竹」の地名の由来
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■ 苦竹(にがたけ): 宮城県仙台市宮城野区苦竹

・ 地名はこの地に真竹が多く生えており、これを苦竹とも書くことから命名されたとする説がある。【角川日本地名大辞典】

・ 苦竹郷: 室町時代に陸奥国宮城郡にみられた郷名。「余目記録」に留守氏の祖伊沢家景の弟宮城家業が正治2年柴田郡の芝田次郎謀叛の際に追討使として活躍し、その賞として宮城郡の拝領を願ったが兄家景がすでに在城する以上できないと断わられたので、「さらば宮城と申す所名ばかり下さるべしとてにがたけの郷を宮城本郷と申し、かの一郷ばかりにて宮城とうら書をする」ことを許されたという由緒を物語っている。宮城郷の地名はすでに平安期に見られるものであり、宮城郷の中に苦竹村が成立し、伊沢一族の宮城氏が、これを代表する領主に成長してきていることを物語る。宮城氏は留守一族17家の筆頭の家柄であったが、南北朝期の動乱の中で、この地には国分氏の勢力が進出、南目館(自衛隊仙台駐屯地の一画)を構えるに至る。館主喜多目(北目)氏は国分氏の家臣であった。宮城氏から国分氏への交代は、南北朝期の観応2年の岩切合戦を境としていると思われる。【角川日本地名大辞典】

・ 苦竹郷: 戦国時代に陸奥国名取郡にみられた郷名。戦国期に見える郷村名名取郡のうち「天文段銭古帳」名取分に「八貫五百文 にかたけ」とあり、「晴宗公采地下賜録」馬場五郎宛分にも「にが竹の郷、むねやく、田銭、しよ公事、直納たるべく候」と見える苦竹郷は「余目記録」にも留守一門の宮城小四郎家業の所領として宮城郡のうちにも見え、宮城本郷を称したとあるが、これはそれと違う名取苦竹郷である比定地未詳。【角川日本地名大辞典】
※ 昔、仙台にいる時、仙石線の苦竹駅、毎日利用してました。

・ この地域でとれる真竹が、淡竹(はちく)と違って、ゆがかないと苦くて食べられないことに由来する。【JR・第三セクター 全駅ルーツ事典 村石利夫 東京堂出版】

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