「草戸」の地名の由来
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■ 草戸(くさど): 広島県福山市草戸町

・ 芦田川の下流域。現在、地域は芦田川によって東西に二分されているが、芦田川は往古当地の東側を流れ、深津・沼隈両郡の境をなしていた。著名な草戸千軒集落は現在の芦田川の川床に埋没している。地名の由来は、芦田川の中州が寸草無穢の土地であることにちなみ、芦の字を分解して「艸戸」としたものという。【角川日本地名大辞典】

・ 草戸: 南北朝時台から備後国沼隈郡長和荘にみられた地名。室町期までは、草津・草出・草出津などと書いて、クサツ・クサイヅなどと呼んでいた。鳥越の中山城は山名氏家臣渡辺高の居城、中州の一角を占めていた鷹取城は毛利氏家臣渡辺房の居城という。鷹取は高荷取の意味で、福山築城にあたり、木材などの運搬船が川が浅いため神島(かしま)まで運行出来ず高荷を当地で降ろし、軽くして上ったと伝える。【角川日本地名大辞典】

・ 草戸千軒は13世紀中頃から16世紀の初めまでの約250年間にわたって栄えていた港町といわれ、寛文13年(1673年)の大洪水で水没したが、昭和5年に遺構としてあらわになった。約1平方Kmの範囲に約千軒の家屋があったとされ、「草戸千軒」といわれる。ここのゴミ捨て場からは、「鶏、雉、鹿、猪、犬、海亀」の骨が出土し、当時の人たちが犬をはじめとする肉食を行っていたとされる。しかし、江戸時代のものが出土していないことから、水没した当時、この町はすでに衰退していたのではないかと考えられている。

・ 草戸千軒町遺跡(くさどせんげんちょういせき): 寛文13年の大洪水で埋もれたとされる遺構。この町の性格に関しては、遺跡の西側山麓にある常福寺(現明王院)の門前町とする考えや、当時湾入していた福山湾の西岸に位置する港町とする考えなどが提起されているが、町が栄えていた頃の様子を示す史料が存在しないため、断定することはできない。【角川日本地名大辞典】

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