「鬼首」の地名の由来
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■ 鬼首(おにこうべ): 宮城県大崎市鳴子温泉鬼首

・ かつて鬼と呼ばれた豪族がここで首をはねられたことに由来する。

・ 元は「鬼切部(おにきりべ)」と呼ばれていたが「鬼首」に転じたという説もある。

・ 坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に、蝦夷の首領の大武丸を斬ったとき、その首がこの地に落ちたので鬼首と呼んだという地名伝説がある。

・ 鬼首(おにこうべ): 温泉が地内所々に湧出し、古来、硫黄・石英・石雲母・金・銀・銅の鉱産や漆の生産に富み、馬産地としても知られていた。地名の由来については、坂上田村麻呂が蝦夷経営の際、蝦夷首領大武丸を斬ったとき、その首がこの地に落ちたので鬼首と呼んだという伝説がある。しかし鬼首は本来鬼切部(おにきりべ)と呼ばれていたもののなまりと思われる。鬼切部は平安後期奥六郡の安倍頼時と陸奥太守藤原登任の大戦があった古戦場。その安倍館と称するものが鬼切辺館あるいは鬼城と呼ばれ、古塁跡を残している。【角川日本地名大辞典】

# 鬼切部(おにきりべ): 平安時代に陸奥国栗原郡にみられた地名。前九年の役のはじめ、奥六郡を支配していた安倍頼時は、ついに衣川の国境線を越えて政府側支配の磐井郡以南の地に進出した。陸奥守藤原登任(なりとう)はこれを征定しようとして、出羽国の秋田城介(秋田城鎮守の出羽介)平重成の参戦を求め「大いに鬼切部に戦い、太守軍敗績(はいせき)、死者甚だ多し」とある。永承の初めのことである。このため、朝廷では、源頼義を陸奥守兼鎮守府将軍に任じ、12年間の悪戦苦闘の末、これを鎮定する。今日鬼首の地に鬼切辺館跡というのがあり、村もかつては鬼切辺村と称していたと伝えているから、鬼切部(鬼切辺)が鬼首であることがわかる。【角川日本地名大辞典】

# 「鬼」の地名

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