備前国
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# 旧山陽道。

# 現在の岡山県の南東部。

# 太閤検地での石高: 22万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。備前国は10位。

# 古代表記: 吉備(黍・きび)の国 → 備前・備中・備後

# 吉備は、古くは「きびのみちのくち」と言われた。

# 備前、備中、備後: 吉備(きび)氏の所領。吉備の国→吉備団子ですね(^o^)

# 備前・美作の守護は赤松氏だったが、山名氏と交替し、また赤松氏が復帰して応仁の乱を向かえた。赤松氏の守護代の浦上氏が播磨から入り三石(みついし)城を本拠として統治した。

■ 邑久(おく)郡: 岡山県。古代より備前の国にみられる郡名で古くは「おおく」ともいった。郡名の由来については、「新羅大来」にちなむという伝承がある。【角川日本地名大辞典】 

■ 上道(じょうとう)郡
# 幡多郷: 岡山県岡山市。奈良時代から平安時代にかけて、備前国上道郡にみられた郷名。高山寺本に「発多」の訓が付される。郷名は、渡来系氏族の秦氏が居住したことにちなむか。また仁和元年の上道郡白丁に秦春貞の名が見え、当郷に秦氏が居住したことが知られる。【角川日本地名大辞典】


# 続日本紀・文武天皇元年(697年): 閏12月7日: 播磨・備前・備中・周防・淡路・阿波・讃岐・伊予などの国に飢饉がおきたので、食料を与えた。また負税(出拳で借りた稲の返済すべき分)の取り立てをやめさせた。

# 続日本紀・文武天皇2年(698年): 7月17日: 下野・備前二国が赤烏を、伊予国が白なまり(錫と鉛の合金)を献じた。

# 続日本紀・文武天皇2年(698年): 9月28日: 近江国に金青(こんじょう・紺青とも書き、青色の顔料)を献上させた。伊勢国には、朱沙(すさ)・雄黄(ゆうおう)、常陸・備前・伊予・日向の四国には朱沙(すさ)、安芸・長門の二国には金青(こんじょう)・緑青(ろくしょう)、豊後国には真朱(まそほ)を献上させた。(いずれも顔料)

# 続日本紀・大宝元年(701年): 8月21日: 参河(みかわ)・遠江・相模・近江・信濃・越前・佐度・但馬・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・長門・紀伊・讃岐・伊予の十七カ国にイナゴの発生があり、大風が吹き人民の家屋が損壊し、秋の収穫に被害が出た。

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