淡路国
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# 現在の兵庫県淡路島。

# 国生みの神話で、一番最初にできたのが「淡路島」。「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」と「いざなみ(伊弉冉、伊邪那美、伊弉弥)」が初めて作った国は不愉快なものだった。これを我恥(あはじ)の意味で淡路島(あはじしま)と名付けた。 → 詳細

# 太閤検地での石高: 6万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。淡路国は63位。

# 阿波国に行く通路を意味する。

# 古事記では「淡道之穂之狭別島」。日本書紀では「阿波」。万葉集では「粟路」、「琴歌譜」では「安波知」と書いた。

# 淡路国(あわじのくに): 南海道に属した。淡路島からなる。島名としては、「古事記」の伊耶那岐命・伊耶那美命の国生み神話に「淡道之穂之狭別島」とあるのが初見。国名は、同書に淡道と書かれている。
・ 国名の由来には、諾冉2神が淡路洲を胞として産んだことから吾恥(あはち)となったとする説、淡路島が小さいことから吾恥島としたという説、阿波への道という説、粟を産するところから「あわ島」と呼ぶべきところを阿波や安房との混同を避けるために「あわつ島」と呼んだのが「あはち島」に転訛したという説、粟を産する地すなわち粟地であるなどの諸説がある。【角川日本地名大辞典】
・ 平氏滅亡の頃、淡路には梶原景時の軍勢が駐留していた。守護に任命された佐々木経高は、承久の乱に後鳥羽上皇方について敗れ自殺、代わって長沼宗政が守護となり、国司を兼ね、鎌倉幕府滅亡までその子孫がその職を継いだ。


# 続日本紀・文武天皇元年(697年): 閏12月7日: 播磨・備前・備中・周防・淡路・阿波・讃岐・伊予などの国に飢饉がおきたので、食料を与えた。また負税(出拳で借りた稲の返済すべき分)の取り立てをやめさせた。

# 続日本紀・大宝元年(701年): 8月14日: 播磨・淡路・紀伊の三国が「大風と高潮のために、水田や園地が被害をうけました」と言上した。使いを遣わして、農業養蚕の状態を巡察し、人民を慰問させた。また使いを河内・摂津・紀伊の国に遣わし、行在所(あんざいしょ)を造営させ、あらかじめ、水路の行幸に備えさせるために、天皇の乗る船を三十八艘を造らせた。

最終更新日 2017/03/28

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