摂津国
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# 旧畿内。

# 現在の兵庫県の南東部と大阪府の北西部。

# 太閤検地での石高: 36万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。 摂津国は44位。

# 港湾を取り締まる摂津職に由来する。

# 国名は津の官務を摂する国の意味による。

■ 島上郡(しまがみ): 古代より摂津国にみられる郡名。「和名抄」の訓は「志末乃加美」。「延喜式」の訓は「シマノカミ」。大阪府の東北端に位置する。東南は淀川、北は山城国乙訓(おとくに)郡および丹波国桑田郡、西は島下郡に接する。水無瀬(みなせ)川・檜尾(ひお)川・芥川が南流して淀川に注ぐ。地勢は北半部の北摂山地、南半部の三島平野と呼ばれる淀川低地からなる。律令制下に入ってから三島郡が上・下に分かれて成立したと考えられるが、建郡を直接示す史料はない。【角川日本地名大辞典】

■ 豊島郡 (てしま): 大阪府(旧摂津国)。「和名抄」の訓は「手島」。「延喜式」の訓は「トシマ」。大阪府の北西部に位置する。手嶋とも書く。【角川日本地名大辞典】

■ 西成郡(にしなり): 摂津国にみられた郡名。大阪府大阪市西成区。「和名抄」の訓は「邇之奈里」。もとは難波小郡と称し、西生とも書いた。地勢は川口近くの淀川の多くの分流がつくりだした砂洲の海岸低地からなる。郡内には、渡来した吉士(きし)の氏族である三宅一族が郡司の地位を占め、佐夜部首氏・漆部伊波などが居住し、都下国造の本拠地があったともいわれる。この地を本拠に構成された武士団が渡辺党であった。渡辺綱は源頼光の四天王の1人として鬼退治の伝説が知られる。【角川日本地名大辞典】

■ 東成郡(ひがしなり): 摂津国にみられた郡名。大阪府大阪市東成区。「和名抄」の訓は「比牟我志奈里」。「和名抄」「延喜式」「拾芥抄」とも「東生」と書き、のちに生が成に換用されたが、江戸中期まで東生・東成の両者が混用された。もとは難波大郡と称した。郡内には、郡司の難波忌寸氏・日下部忌寸志など新羅から渡来した吉士(きし)の氏族、ほかに渡来氏族の高向史・古市村主などが勢力を張っていたといわれる。

■ 豊島郡(てしま): 古代から近代にかけて摂津国にみられた郡名。「和名抄」の訓は「手島」。「延喜式」の訓は「トシマ」。大阪府の北西部に位置する。【角川日本地名大辞典】

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