上野国
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# 旧東山道。

# 現在の群馬県

# 太閤検地での石高: 50万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。上野国は13位。

# 「上野」の名字

# 古代表記: 毛の国 → 上野・下野

# 「毛野」とは、「北関東の火山群の火山性扇状地・火山灰台地を、「△型火山(ケ)が作った野」と総称した古地名。【地名でわかる水害大国日本 楠原佑介 祥伝社新書】

# 毛の国とは「禾(か)の国」で穀物が取れる国の意味。

# 昔、北九州を治めていた宇佐都彦(うさつひこ)という神さまがいた。その神さまに土地の人が新穂をささげると、大変喜んで、「この地を毛ノ国と唱えよ」と言った。大分県のこと。「毛=禾」で「禾」は稲のこと。全国に毛のつく地名は多い。「毛野国」で有名なのは「上野国」「下野国」だが。

# 上野国: 関東の大豪族である上毛野氏(かみつけのし)の所領から。

# 群馬県栃木県をあわせて、昔は「毛野(けの)国」といった。「上毛野国」「下毛野国」は日本書紀にも記されている。

# 日本三古碑の一つの多胡碑(たごひ)が高崎市に残っている。711年に上野国に新たに多胡郡ができたのを記した碑。残りの三古碑は「那須国造碑(なすのくにのみやつこひ)」「多賀城碑」。

# 上野国は、山内上杉氏の本拠地で、藤岡市にあった平井城に拠った。

■ 群馬郡
・ 群馬郷(くるまのごう): 平安時代に上野国(群馬県)にみられる郷名。諸本とも訓を欠くが、郡名と同じく久留末と訓んだであろう。郡名と同一の名称の当郷は郡名の由来とかかわりの想定される車持公の本拠があった所であろうか。これを「上野国神名帳」群馬郡西郡之部に見える車持明神・車持若御子明神の鎮座地と合わせ見るならば、榛名(はるな)町付近ということになろうか。しかし、郡郷の整備されていく8世紀段階の郡の中心地ということになると、宝塔山古墳・蛇穴山古墳・山王廃寺・国府のある前橋市総社町・元総社町から群馬郡群馬町にかけての一帯であろうとも考えられる。後者の見方を有力とするものが多い。【角川日本地名大辞典】

■ 佐位郡
・ 佐井郷: 群馬県。奈良時代から平安時代にかけて、上野国佐位郡にみられた郷名で佐位郷とも書く。高山寺本・東急本ともに訓を欠く。現在の伊勢崎市上植木本町付近に比定される。【角川日本地名大辞典】

■ 多胡郡(たこ): 古代から近代にかけて上野国(群馬県)にみられる郡名。
・ 多胡(たご): 上野国。多胡の名称は、和銅4年多胡郡の新設に初出し、これは外来人が多く住んでいる郡という意味で、郡をつくった時に新しく考え出されたものであろう。中世には木曽義仲の父義賢の領有する多胡荘に属し、字元郷は多胡先生義賢の居館と伝える。【角川日本地名大辞典】
# 多胡郡: 「胡」とは、古代中国における北方民族などの異民族の蔑称で、それらの渡来人が多く住んでいたので「多胡」と言った。
※ ちょっと、疑問。たとえば北方民族が渡来してこの地に住んだ場合、彼らをだれが「胡」と呼んだのだろう?蔑称を自分たちが使うわけはないだろうから、彼らを「胡」と呼んでいた中国の地方からの渡来人が呼んだのか?とすれば、先にそれらの人たちが日本(この地周辺)に来ていたということか。

■ 緑野(みとの)郡
# 尾張郷(おわりのごう): 平安時代に上野国緑野(みとの)郡にみられた郷名。「地名辞書」では「ヲハリ」と訓み、「日本地理志料」では信濃国尾張郷にならって「乎波利倍」と訓む。郷域は「地名辞書」は「三波川村、鬼石町の辺にあたるかと疑はる」とし、「日本地理志料」は「八塩、鬼石、永源寺、八木沢」一帯に比定するが、詳細は不明。【角川日本地名大辞典】

最終更新日 2017/03/22
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