下総国
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# 旧東海道。

# 現在の千葉県茨城県の一部。

# 太閤検地での石高: 37万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。下総国は9位。

# 上総、下総の「総」とは、良い麻のとれる所の意味。「総の国」

# 下総の国府: 千葉県市川市国府台

■ 結城郡: 下総国にみられた郡名で現在の茨城県結城市周辺。「和名抄」に「結城(由不岐)」と見える。郡名の由来について「古語拾遺」は穀木(かじのき)がよく生育する地であったことによるとする穀木とは「和名抄」に楮と同じと見え、この木の皮を剥ぎ、繊維を蒸して水に浸し、細かく裂いて糸としたものを木綿(ゆう)といったから、ゆふの木が自生するに適した地という意味でユフキといったのであろう。
・ 平安末期、寿永2年に志田義広の乱が起こると、小山政光の第3子朝光は源頼朝に従って戦い、乱平定後その功により結城郡を与えられ、結城朝光と名乗った。
・ 中世に当郡は南北に二分され、北部を結城郡上方(現結城市北部・小山市北東部)と称し、結城氏の本拠で、南部を結城郡下方(現結城市南部・八千代町北部・三和町東部)と称し、結城氏支流山河氏が支配した。
・ 結城(ゆうき): 茨城県結城市。「万葉集」に防人「結城郡矢作真長」の名が見える。地名は、木綿(ゆう)の原料となる穀木(かじのき)の生ずる所にちなむという。【角川日本地名大辞典】
・ 結城(ゆうき): 下総国結城郡結城郷、茨城県結城市。結城は結木で、占め木のこと。のちに木綿(ゆう・神事に榊をつけてたらす)と結びついて斎木(ゆき)として尊ばれた。【地名苗字読み解き事典 丹羽基二 柏書房】

■ 猿島郡(さしま): 茨城県。下総国にみられた郡名。郡名の由来は、彦狭島王の御名代という説や、川の間の狭小な地の意という説がある。【角川日本地名大辞典】

■ 相馬郡(そうま): 古代から近代にかけて、下総国にあった郡名。「和名抄」では「佐宇万」と訓。手賀沼周辺の平地で、北は利根川。
・ 古代: 「和名抄」下総国十一郡の1つで、大井・相馬・布佐・古溝・意部・余部(高山寺本は脱)の6郷がある。
・ 中世: 平安末期、律令制的郡郷制が解体して中世的郡が成立したが、大治5年に下総権介千葉常重が当郡内の地を伊勢内宮に寄進し、相馬御厨が成立した。
・ 近世: 天正18年土岐定義は1万石で守谷(茨城県)に入封し、のちの守谷藩となるが、元和3年転封により廃藩。
・ 相馬(そうま): 下総国相馬郡相馬郷。@祖が神託によって馬に添って相(とも)に生きることを誓わせられた。A狭庭(さにわ)で、地形が小さな庭園のようにみられた。狭場(さば)から相馬に転じた。B狭沼で、小さい沼が多く存在した。【地名苗字読み解き事典 丹羽基二 柏書房】

■ 葛飾郡(かつしか): 下総国、のち下総・武蔵両国の郡名。地名の由来は、武蔵野の東方に続く原野で、葛が繁茂していたことにちなむというが不詳。【角川日本地名大辞典】
・ 葛飾(かつしか): 「勝鹿」とも書き、古くは「かづしか」ともいう。

■ 香取郡(かとり): 古代から近代にかけて下総国にみられた郡名。「和名抄」下総国十一郡の1つで、「加止里」と訓。利根川下流南岸の一帯に位置する。「鹿取」・「※托」(正倉院文書)・「※取」などとも書く。香取神宮の所在郡。江戸期は「かんとり」と称した。
・ 古代: 大化前代には下海上国造(旧事本紀・古事記)の領域であったという。
・ 近世: 天正の検地で「和名抄」大倉・城上・麻続・布方・軽部・神代・編玉・小野・石田の9郷、中世の東荘・木内荘・松沢荘などに相当する地域が当郡に編入、江戸初期には匝瑳北条の一部も郡内に入った。【角川日本地名大辞典】

■ 匝瑳郡(そうさ): 古代から近代にかけて下総国にみられた郡名。下総国の東南部、栗山川以北の九十九里浜沿いの平地に位置する。
・ 古代: 「続日本後紀」承和2年3月辛酉条によれば、往時、物部小事大連が坂東を征した勲功によって、下総国に初めて匝瑳郡をたて同氏の氏にしたという。
・ 近世: 江戸初期に再編された当郡は東部は海上郡、北部は香取郡、南部は上総国武射(むしや)郡に入る(匝瑳郡誌)など郡域の変動を経て元禄年間までに確定したと考えられる。【角川日本地名大辞典】
・ 匝瑳(そうさ): 千葉県匝瑳郡。「匝瑳」は佳字で、下総・上総に対して狭総(さふさ)、つまり小さな総(ふさ)の国を意味する。総とは麻のこと。【地名苗字読み解き事典 丹羽基二 柏書房】


# 続日本紀・文武天皇2年(698年): 9月7日: 下総国で大風が吹いて、民衆の住居をこわした。

# 続日本紀・文武天皇2年(698年): 11月29日: 下総国が牛黄(ごおう・牛の胆石で薬用) を献じた。

最終更新日 2017/04/18
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