保科正之
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■ 保科正之(諱)

# 「保科」の名字の由来

・ 1611年〜1673年
・ 神号: 土津霊神(はにつれいじん)
・ 幼名: 幸松
・ 階位・通称: 肥後守、正四位下左近衛中将
・ 会津藩の初代藩主。

・ 幼かった四代将軍を補佐して善政をしいたとして有名。「玉川上水の掘削」。明暦の大火の後始末として回向院の建立。回向院は宗派を超えて死者の埋葬を行った。

・ 徳川秀忠の正室の「お江与の方」が、秀忠に側室をもつことを認めなかった。したがって、正之の母の志津(お静の方)が懐妊すると、尼僧の見性院(武田信玄の娘)に預けられ、生まれた子は信濃国高遠藩の保科正光に養子に出した。

・ 保科正之は、八王子に住んでいた武田信玄の娘の見性院(織田信忠の婚約者だった)に預けられた。
【誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫】

# 保科正之の官位
・ 寛永8年(1631年): 従五位下、肥後守。
・ 寛永9年(1632年): 従四位。
・ 寛永11年(1634年): 侍従。
・ 正保2年(1645年): 少将、従四位上。
・ 承応2年(1653年): 中将、正四位下。
【保科正之 徳川将軍家を支えた会津藩主 中村彰彦 中公文庫】


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