「軍師官兵衛」に学ぶ歴史豆知識
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★ NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に学ぶ歴史豆知識

 軍師官兵衛の黒田家のゆかりの地は備前国邑久(おく)郡福岡で現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡である。黒田家は、豊臣政権のもとでの九州征伐の功績で豊前中津を領有し、関ヶ原の合戦での功績により、徳川幕府では筑前福岡52万石の太守となった。
 福岡藩の藩主となった官兵衛の子の長政は、現在の福岡県福岡市中央区に築城し、ゆかりの地である備前福岡の地名にちなんで「福岡」と名付けた。これが、現在の「福岡県」「福岡市」の由来である。
 さて、では福岡城があった地はそれまではどう呼ばれていたのか?そこは、福崎丘陵(筑前国那珂郡警固村福崎)と言われていたようだ。
 そこで、時代は少し遡るが、黒田家の礎を築いた黒田官兵衛は信長政権下における秀吉の毛利攻めで軍功をあげるわけだが、その代表的なものが備中高松城の水攻め。この戦いは、紀伊国太田城(和歌山県和歌山市太田)と武蔵国忍城(埼玉県行田市)を併せて、日本三大水攻めとされており、忍城のそれは「のぼうの城」でも有名である。
 この高松城(清水宗治)攻めでは、足守川の流れをせき止めたわけだが、その堰堤を作った場所が「福崎」。今の岡山県岡山市北区福崎かなぁ?
 ここで、「福岡」キーワードで岡山県と福岡県がつながりましたが、加えて「福崎」というキーワードで岡山県と福岡県が繋がりました。「福崎」なんて地名は全国にそう多くあるものではないのに、奇遇ですねぇ。ただ、それだけのこと。

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【参考資料】
 
■ 福岡(ふくおか): 岡山県瀬戸内市長船町福岡
  
■ 福岡(ふくおか): 福岡県福岡市
・ 東から西にかけて多々良川・御笠川・那珂川・樋井川・室見川などが南北に流れる福岡平野に位置する。地名は、慶長6年黒田長政が那珂郡警固村福崎の地に築城し、黒田氏の故地備前国邑久(おく)郡福岡の地名にちなみ命名したものという。【角川日本地名大辞典】
  
■ 福崎(ふくざき): 岡山県岡山市北区福崎?
  
■ 福崎(ふくさき): 岡山県倉敷市水島福崎町
   
■ 福崎町(ふくさきちょう): 福岡県福岡市

■ 血吸川(ちすいがわ): 岡山県中央部を流れ、砂川の支流。総社市奥坂字後原に源を発し、岡山市高松田中で砂川に合流し、さらに約1km下流で足守川に合流する。上流は吉備高原南端部に当たり、鬼ノ城山麓に狭い谷をつくり、総社市西阿曽から高松田中にかけては条里地割の残る沖積平野の穀倉地帯となっている。東の足守川、西の桜川や砂川(天井川ともいう)とともにほぼ並行して流れ、吉備高原の花崗岩地帯より運搬された砂礫の堆積量が多く、天井川を形成している。これらの河川の合流する付近の三角地帯は氾濫の多い低湿地となっている。河川名の由来は、鬼ノ城山などとともに四道将軍吉備津彦命に討たれた温羅の血が流れたとする伝説によるものや、流域の砂鉄採取の鉄穴流しによって河床が赤味がかったとする説がある。【角川日本地名大辞典】

■ 足守川(あしもりがわ): 岡山県中央部を流れ、笹ケ瀬川の支流。水源は上房郡賀陽町高陣山に発するが、河川調書では岡山市河原を上流端とし、今保で笹ケ瀬川に合流するまでをいう。水源から岡山市足守までは渓谷をなす。足守は谷口集落で、近世には木下氏の陣屋町として栄えた。ここより下流は岡山平野に入り、かつては天井川となっていたが、上流に黒谷池が築造されてから河床が下がった。支流の血吸川・砂川(久米川)は現在でも天井川である。天正10年中国攻めの羽柴秀吉が足守川の水を引いて清水宗治の守る備中高松城を水攻めにしたのは有名である。【角川日本地名大辞典】

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