「松平」の名字の由来
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■ 松平(まつだいら、まつひら)

【2016/02/19:改編】

# 1859位

# 清和源氏新田氏流などにみられる。

# 富山県:559位、石川県:571位、岩手県:645位、愛媛県:739位、和歌山県:776位、〜山形県:1350位など。

# 江戸幕府の将軍家の徳川家の祖。【代表家紋: 
・ 松平氏のルーツ地の松平郷では、賀茂社への信仰があつく、賀茂社の神紋である「」を家紋とした。

# 主なルーツ地
・ 三河国賀茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)をルーツとする。
 室町時代の中頃の15世紀の初めに、新田義貞の子孫で上野国新田郡世良田の出の徳阿弥という僧侶が三河国松平郷にあった在原業平の子孫に婿入りし、松平親氏を称した。
 愛知県豊田市松平町は、かつては三河国松平郷だった。近くには、松平氏の発祥の地の松平城址がある。

# 幕末の300大名の中で、「徳川」「松平」を名乗る家は56家にのぼる。

# 余談だが、松平長七郎は三代将軍家光の弟である忠長遺児という設定だが架空の人物と言われる。「長七郎江戸日記」里見浩太朗。

# 富山県の松平は「まつひら」と読み、富山からの移住者が多い北海道でもそう読まれる。

# 山形県の松平家

# 福島県の松平家

# 群馬県の松平家

# 新潟県の松平家

# 福井県の松平家

# 長野県の松平家

# 愛知県の松平家

# 岐阜県の松平家

# 三重県の松平家

# 兵庫県の松平家

# 滋賀県の松平家

# 島根県の松平家

# 香川県の松平家

# 愛媛県の松平家

# 松平家の松平は愛知県豊田市の地名。ここが三河の土豪だった松平氏の本拠地。
・ 松平(まつだいら): 愛知県豊田市松平町。矢作(やはぎ)川支流巴川中流域、炮烙山・六所山の西麓に位置する。地名は、松が繁茂していたことによると伝えられる。徳川家康の祖松平氏の発祥の地として有名で、応永年間頃に新田得川氏の後裔で徳阿弥と称する時宗の僧が松平郷に来て郷主松平太郎左衛門信重の婿となり、還俗して家督を継ぎ太郎左衛門親氏と称したのが徳川松平氏の初代と伝えられる。【角川日本地名大辞典】

【松平諸家】
# 竹谷松平: 松平信光の長男の守家の子孫が三河国宝飯郡竹谷(愛知県蒲郡市)を本拠とした。松平家清は徳川家康の異母妹(久松氏)を妻とし、家康の関東入国後に武蔵国八幡山1万石を領した。関ヶ原の戦いの後には吉田3万石を領したが、跡継ぎがおらずに断絶し、一族が旗本として続いた。
# 形原松平: 幕末の大老の井伊直弼の正室は丹波国亀山の形原松平家から来ている。松平信光の四男の与副の子孫で三河国宝飯郡形原(愛知県蒲郡市)に由来する。松平家信は家康の関東入国後に下総国五井、大阪の陣の後には三河国形原1万石を領した。その後、高槻、佐倉を経て高槻5万石。後に丹波国亀山に移った。幕末の老中の松平信義は生麦事件の処理などを行った。
# 能見松平: 松平信光の八男の光親が三河国額田郡能見(愛知県岡崎市)に住んだのがルーツ。江戸時代には松平忠輝の付家老として越後国三条で2万石を領したが、忠輝が失脚したため関宿へ経て、遠江国横須賀兼駿府城代となった。その後、出羽国上山、三田、豊前国竜王、豊後国高田を経て、1645年に豊後国杵築3万2千石。
# 長沢松平: 松平信光の子の親則が三河国宝飯郡長沢(愛知県碧南市音羽町)に住んだのが祖。徳川家康に六男の忠輝が継いだが改易。徳川三代将軍家光の時代に「知恵伊豆」と言われた松平伊豆守信綱の出身は大河内家だが、叔父の松平正綱の養子となり松平を称した。松平伊豆守信綱は1627年に立藩し、忍3万石から川越6万石へ。
# 深溝(ふこうず)松平: 松平信光の七男の忠景の二男の忠定が三河国額田郡深溝(愛知県額田郡幸田町)に住んだのに始まる。松平家忠(武蔵国忍1万石)は関ヶ原の戦いの前哨戦で鳥居元忠などと一緒に伏見城で討ち死にをした。家忠の子の忠利は深溝、吉田、刈谷、福知山、島原、宇都宮と転じ、1774年に再度島原7万石へ。
# 大給(おぎゅう)松平: 松平信光の子の親忠の二男の乗元が三河国加茂郡大給(愛知県豊田市)に住んだのが始まり。
# 滝脇松平: 松平親忠の九男の乗清が三河国加茂郡滝脇(愛知県豊田市)に住んだのが始まり。
# 桜井松平: 三河国碧海郡桜井(愛知県安城市)を本拠とした。松平を称していたが明治時代に桜井に改姓。
# 藤井松平: 三河国碧海郡藤井(愛知県安城市)を本拠とした。松平信一が関ヶ原の戦いの後に常陸国土浦3万5千石。
# 津山松平家は、結城秀康の子孫。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 松平家: 三河の戦国大名で後の徳川家三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)をルーツとする。「三河物語」では清和源氏新田氏の一族の得川義季の子孫が諸国を放浪後に三河国松平郷の松平太郎左衛門尉の婿となったとするが不詳。
・ 竹谷松平家: 松平信光の長男の守家が三河国額田郡逢生村(愛知県岡崎市)から三河国宝飯郡竹谷(愛知県蒲郡市竹谷町)に移り住んだのが祖。天正18年(1590年)に家康の関東入国に際して松平家清は武蔵国児玉郡八幡山(埼玉県本庄市児玉町八幡山)で1万石を領す。関ヶ原の戦い後三河国吉田で3万石を得たが跡継ぎがおらず断絶。その後、一族が三河国宝飯郡で5千石で再興し、交代寄合となった。
・ 形原家: 松平信光の四男の与副を祖とする。三河国宝飯郡形原(愛知県蒲郡市形原町)に住み今川家に仕えていた。後に徳川家康に仕え、家康の関東入国では家信が上総国市原郡五井(千葉県市原市)で5千石を領す。関ヶ原の戦いの後には三河国形原5千石を経て、後に1万石の大名となった。以後各地を転々とし、丹波国亀山藩主。
・ 大草家: 松平信光の五男の光重が三河国渥美郡大草(愛知県田原市)に住んだのを祖とする。康安年間に徳川家康に仕え江戸時代は旗本8千石だったが無嗣断絶。
・ 五井家: 松平信光の七男の忠景が新宮家の三河国宝飯郡五井城(愛知県蒲郡市五井町)を奪ったのが祖。徳川家康に仕え、江戸時代には旗本6千石。
・ 深溝家: 五井松平家の忠景の二男の忠定が三河国額田郡の深溝城(愛知県額田郡幸田町深溝)の城主の大場主膳を討って深溝城に住んだのを祖とする。徳川家康に仕え、家康の関東入国に際して武蔵国忍1万石を領す。江戸時代には各地を転々とし、島原7万石。
・ 能美家: 松平信光の八男の光親が三河国額田郡能美(愛知県岡崎市)に住んだのが祖。徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いの後は松平忠輝の付家老として越後国三条2万石。忠輝が改易後には幕臣にもどり、下総国関宿藩2万6千石。後に遠江国横須賀から各地を転々とし、豊後国杵築藩主。
・ 長沢家: 松平信光の十一男の親則が三河国宝飯郡に長沢城(愛知県豊川市長沢町)を築いて住んだのを祖とする。徳川家康の関東入国に際しては武蔵国深谷1万石。
・ 大給家: 松平信光が大給城(愛知県豊田市)を奪って親忠に譲り、その二男の乗元が城主となったのを祖とする。乗元の孫の代に嫡流の乗正流と傍流の親清流に分かれた。嫡流はその後家康の関東入国に際して上野国那波(群馬県)で1万石を領す。江戸時代には美濃岩村藩2万石を立藩、各地を転々として三河西尾6万石。
 傍流は大給宗家の家臣だったが、家康の関東入国に際して上野三ノ倉(群馬県高崎市倉渕町)5千5百石。江戸時代には下野国板橋藩1万石を立藩し、その後は各地を転々とし豊後府内藩2万2200石。
・ 滝脇家: 松平親忠の九男の乗清が三河国賀茂郡滝脇(愛知県豊田市滝脇町)に住んで滝脇氏を称した。江戸時代には旗本から駿河国小島藩1万石。
・ 福釜家: 松平長親の二男の親盛が永正年間に三河国碧海郡の福釜城(愛知県安城市)に拠ったのが祖。
・ 東条家: 松平長親の四男の義春が東条松平氏を称した。天正年間に断絶。
・ 藤井家: 松平長親の?男の利長が三河国碧海郡の藤井城(愛知県安城市藤井町)に拠ったのが祖。家康の関東入国に際して下総国相馬郡布川5千石。関ヶ原の戦いの功で常陸国土浦3万5千石。その後各地を転々とし、出羽国上山藩主。信濃国上田藩主は分家。
・ 三木家: 松平信忠の二男の信孝が三河国碧海郡三木(愛知県岡崎市)に住んで三木松平氏を称した。
・ 松平郷松平家: 松平泰親の庶長子の信広を祖とする。家康の関東入国に際して一旦関東に移ったが、1613年に家康に願い出て旧領の松平郷に戻った。後に交代寄合440石。


■ 松平信綱 ・ 松平定信 ・ 松平定政

■ 松平家

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