「畠山」の名字の由来
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■ 畠山(はたけやま)

【2016/08/21:改編】

# 267位

# 清和源氏足利流、桓武平氏などにみられる。

# 山は山の地形を表す。

# 室町時代の足利将軍家の分家筋にあたるが、元々は桓武平氏の流れをくむ秩父氏の一族。

# 秩父重能(しげよし)が武蔵国男衾郡畠山郷(埼玉県深谷市畠山)に領地を得たことに由来し、重能の子の重忠は畠山氏を栄えさせたが、その力を恐れた執権北条時政と対立し滅亡する。この畠山の名を継いだのが、河内源氏足利義純。室町時代には、越中国河内国紀伊国守護を命じられたが、後に応仁の乱の原因となる家督争いで衰退した。畠山重忠の家紋

# 畠山から派生した名字には、「岩松」「和田」「高倉」「松倉」「杉田」「長野」「渋江」「目黒」「中根」「江戸」「藤田」「山下」などがある。

# 秋田県:12位、岩手県:23位、宮城県:42位、北海道:95位、〜山形県:513位など。

# 石川県の畠山家

# プロ野球の畠山和洋は岩手県花巻市の出身。

【参考】 畠山家

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 大阪府の畠山氏: 河内国の戦国大名で、平安時代末期に秩父重綱の孫の重能が武蔵国男衾郡畠山荘(埼玉県深谷市周辺)の開発領主となり畠山氏を称した。鎌倉幕府では有力御家人となったが、畠山重保が北条義時によって謀反の疑いをかけられ滅亡した。平姓の畠山氏が滅亡後、畠山重忠の妻が足利義兼の子の義純に嫁ぎ、その後義純は畠山氏を称した。室町時代には河内畠山氏と能登畠山氏に分かれた。
 河内畠山氏は、応永5年(1398年)に鎌倉幕府の管領となった。
# 石川県の畠山氏: 能登の戦国大名。畠山基国の二男の満則が応永15年(1408年)に兄の管領満家から能登国守護を譲られた。天正5年(1577年)の上杉謙信の能登侵攻で滅亡した。一族の畠山義春は、後に豊臣秀吉に仕え摂津・河内で1500石。江戸時代には旗本。

■ 畠山(はたけやま): 埼玉県深谷市畠山。地名は山を畠にしたところがあったことに由来する。【角川日本地名大辞典】
・ 畠山荘: 鎌倉時代に武蔵国男衾郡にみられた荘園名。平安末期に平良文の子孫である秩父氏は権守重綱以来秩父郡に居して武蔵総検校職(武蔵国在庁官人)を世襲していたが、重能に至り畠山荘司となり、畠山に移住し畠山氏を名乗ったという。【角川日本地名大辞典】

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