「内藤」の名字の由来
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■ 内藤(ないとう)

【2016/06/22:改編】

# 165位

# 藤原北家_秀郷流藤原北家利仁流清和源氏などにみられる。

# 代表家紋は「下がり藤」

# 藤原秀郷から六代目の行俊(ゆきとし)が天皇の警護や雑務を行う官職の内舎人(うどねり)に就いたことから、内舎人の内と、藤原の藤をとったのが由来。

# 内藤家は江戸時代の大名としても有名で、今の新宿あたりにあった宿場町は内藤家の近くにあったために「内藤新宿」と呼ばれた。

# 福島県の内藤家

# 長野県の内藤家

# 愛知県の内藤家

# 宮崎県の内藤家

# 将棋の内藤國雄は兵庫県神戸市の出身。女優の内藤洋子は茨城県神栖市の出身。歌手の内藤やす子は神奈川県横浜市の出身。俳優の内藤剛志は大阪府大阪市の出身。プロボクサーの内藤大助は北海道虻田郡豊浦町の出身。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 福井県の内藤氏: 若狭国武田氏の家老。清和源氏武田氏の一族で、若狭の武田国信の三男の元信が足利義政に仕え、孫の政信の時に内藤氏を称し、天ヶ城(福井県小浜市)に拠った。織田信長の越前侵攻に従い、本能寺の変の際に武田氏に従って明智光秀に組したので没落した。慶長19年に徳川家康に仕え旗本となり、上総国下総国常陸国で8千石を領した。一族の重純は若狭の武田氏に仕えた後、孫の正勝は豊臣秀頼に仕えて大阪の陣で討ち死。正勝の子の伊知・勝房兄弟は祖母が千姫の老女の刑部卿だったので徳川頼宣に仕えて紀州藩士。
# 山口県の内藤氏: 周防国の大内氏の重臣。藤原北家で道長の子孫と伝えられるが、東国の御家人で地頭となって周防に下向したと言われる。江戸時代には長州藩の重臣。
# 京都府の内藤氏: 丹波国の戦国大名。鎌倉時代に内藤秀継が篠山から丹波国船井郡八木(京都府南丹市八木町)に移り住んだ。後に、丹波国の守護となった。足利義昭に組したため織田信長に所領を没収され、小西行長に属し、関ヶ原の後キリスト教の禁教令でマニラに追放された。

【苗字の謎が面白いほどわかる本 丹羽基二】より
# 藤原北家_秀郷流の他、藤原北家道長流、山城国の椿井氏流、若狭国の竹田氏流などがある。
# 関連姓氏: 内等、内納。

■ 内藤家

■ 岩村田藩 ・ 挙母藩 ・ 高遠藩 ・ 延岡藩 ・ 村上藩 ・ 湯長谷藩

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