「武田」の名字の由来
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■ 武田(たけだ)

【2017/02/22:改編】

# 79位

# 第84位 約20万人【明治安田生命ランキング2008

# 第83位 約20万人【明治安田生命ランキング2013

# 全国順位(森岡浩ランキング): 78位

# 代表家紋: 「武田菱紋」「武田信玄の家紋

# 河内源氏甲斐源氏

# 関連姓氏: 竹田

# 「竹林のそばの田」という地形由来。竹田が原意で、武家の武田氏が文字を改めたとされる。昔は「竹田」姓が多かったようだが、戦国の雄の「武田信玄」があらわれてから、「竹田」から「武田」に転字した家が多く、今では「武田」の方が優勢と言われています。

# 小高い土地を意味するとも言われる。

# 源義家の弟の義光が甲斐国に移住したのが始まり。後に源頼朝によって失脚させられるが、孫の代に安芸国守護を命ぜられ、「安芸武田氏」の祖となった。

# 常陸国吉田郡武田郷(茨城県ひたちなか市武田)に由来する武田氏は甲斐武田氏の前身で、後に甲斐国巨摩郡市河荘(山梨県西八代郡市川三郷町)に流されて甲斐武田氏の祖となった。【地名の詳細

# 安芸国の武田氏は、甲斐武田氏の信光が安芸国守護になったのに由来する。

# 若狭国の武田氏は、安芸武田氏の信栄が若狭の守護になったのに由来する。

# 上総国の武田氏は、信満の次男の織田信長が命により上総に移り住んだのに由来する。

# 米沢藩士、仙台藩士や水戸藩士にも甲斐武田氏の支流がある。

・ 伊達藩和淵武田家: 武田信次: 武田信虎の十男(十四男との異説あり)で、武田信玄の弟で、伊達藩和淵(宮城県桃生郡河南町和淵)武田家の祖。
 1574年に武田信虎が死んだ後、会津(蒲生家)を経て出羽国米沢(山形県米沢市)に移り住んで伊達政宗に仕えた。

・ 米沢武田家: 甲斐源氏武田氏の分家の一つで、江戸時代に出羽米沢藩士。武田信玄の七男(六男との異説あり)で、武田勝頼の弟である武田信清が武田氏滅亡の後、姉の菊姫の嫁ぎ先であった上杉家(上杉景勝)を頼って越後に移り住んで家臣となった。ただ、武田姓を名乗ったのは上杉家に来てからで、それ以前は甲斐源氏の旧族である安田氏の名を継いで安田三郎信清と名乗っていたそうだ。

# 常陸国行方郡武田(茨城県行方市武田)に由来する武田氏は桓武平氏大掾氏の出。

# 千葉県の武田家: 戦国大名の上総の武田氏は甲斐の武田氏の一族。康生2年(1456年)に武田信満の二男の信長が古河公方の足利成氏の命令で上総に移り住んだ。

# 武田氏から派生した名字には、「蝦夷国松前氏」「出羽国浅利氏」などがある。

# 甲斐の武田信玄にあやかった一族も多く、千葉県福井県鳥取県広島県に広がった武田氏は同族。

# 青森県の武田家

# 福井県の武田家

# 長野県の武田家

# 山梨県の武田家

# 大阪府の武田家

# 広島県の武田家

# タレントの武田鉄矢は福岡県福岡市出身。サッカーの武田修宏は静岡県浜松市出身。

# 武田の地名(住所)は意外に少ない
・ 秋田県北秋田市七日市武田
・ 宮城県大崎市田尻北小牛田武田浦
・ 福島県田村郡小野町南田原井武田
・ 茨城県ひたちなか市武田
・ 千葉県香取郡神埼町武田
・ 山梨県甲府市武田
・ 山梨県韮崎市神山町武田
・ 鹿児島県南さつま市加世田武田
※ 「武田」の地名は意外に少ないですから、「地名由来」の「武田」もあるんでしょうが、数は多くないのかなぁ?

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 山梨県の武田氏: 甲斐国の戦国大名で清和源氏の出。新羅三郎義光の子の義清が常陸国吉田郡武田郷(茨城県ひたちなか市武田)に住んで武田冠者を称したのに始まる。その後、義清とその子の清光が甲斐国巨摩郡市河荘(山梨県西八代郡市川美郷町)に流されて土着、甲斐武田氏となった。南北朝時代には北朝に属し甲斐国守護となり世襲、安芸国守護を回復。その後武田信玄、勝頼と出るが、天正10年織田信長に敗れて宗家は滅びた。一族に安芸武田氏、若狭武田氏がある。
# 広島県の武田氏: 安芸国の戦国大名で甲斐の武田氏の一族。天文10年(1541年)に毛利元就に敗れて滅亡。
# 福井県の武田氏: 若狭国の戦国大名で安芸の武田氏の一族。
# 千葉県の武田氏: 上総国の戦国大名。康生2年(1456年)に武田信満の二男の信長が古河公方の足利成氏の命で上総に移ったのが始まり。
# 鳥取県の武田氏: 因幡国高草郡の国人で若狭武田氏の支流。

【東北地方の苗字おもしろこぼれ話】鈴木常夫著 本の森 より
# 元々は「竹田氏」で常陸国竹田郷をルーツとする。
# 伊達氏家臣の武田氏は甲斐の武田氏の子孫で、会津を経て、山形県米沢に移り伊達氏に仕えた。
# 宮城県亘理郡亘理町の武者(むしゃ)氏の祖先は甲斐の武田氏の家臣だったが、武田氏が滅亡後流浪し、後に「武田」の「武」をとって「武者屋」を名乗った。

【一個人 2013年12月号】
# 武田(78位)
・ 「武田」という地名は「小高い土地」を意味する。
・ 比較的東日本に多く、秋田県に多い。
・ 常陸国那珂郡武田郷をルーツとし、清和源氏の義光流。義光の子の義清が武田冠者を称し、その子の逸見清光が甲斐国に流されて甲斐武田氏となった。一族は安芸国に分かれ、そこから若狭国上総国に分かれた。

【苗字の謎が面白いほどわかる本 丹羽基二】より
# もとは「竹田」だったが「武田」に転じた。
# 甲斐の武田氏は甲斐国巨摩郡武田村をルーツとし、清和源氏の出。古代の竹田臣の後裔との説もある。
# 常陸の武田氏は常陸国那珂郡武田郷をルーツとする。
# 関連姓氏: 丈田、竹田、岳田、獄田、多気田

【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】
# 武田
・ 甲斐国巨摩郡武田村(山梨県韮崎市)をルーツとする、清和源氏の出。もとは常陸国の出。
・ 丈田、健田、嶽田、武多、猛田、竹田、菌田なども同族。
・ 代表家紋: 「ひし形」

# 「武田」の地名


■ 甲斐の武田家が滅亡後、それらの遺臣は井伊家保科家に召し抱えられた。

■ 勝頼が岩櫃城ではなく岩殿城に行ったのは浅間山が噴火したから、とも言われている。噴火した日に織田勢が信濃国に入った。浅間山の噴火はかなり大きく、安土城からも確認されたという。歴史にモシはないというが、もし浅間山が噴火しなかったら武田勝頼は岩櫃城に行ったかもしれないし、そうすれば武田家の運命もまた別のものになっていたかも。もし浅間山ではなく富士山が噴火していたら?

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