「島津」の名字の由来
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■ 島津(しまづ)

【2016/02/22:改編】

# 872位

# 島津氏は源氏の出を称しているが、学説的には秦氏惟宗氏の出という説が有力とのこと。室町時代に実母が頼朝の隠し子を連れて惟宗広言と結婚したという話がでて、島津家は源氏の出と言われるようになったらしい。

# 代表家紋: 「丸に十字紋

# 山形県:287位、山梨県:485位、新潟県:500位、広島県:558位、静岡県:566位など。

※ 山形県内でこの名字にお目にかかったことないが、高畠町や米沢市、川西町にまとまってみられるようです。

# 源氏説: 島津氏は、頼朝により始祖である忠久が日向国諸県郡島津庄を与えられたことによる。

# 秦氏惟宗氏説: 島津氏は、秦氏の子孫で惟宗氏の流れを汲む惟宗基言の子の惟宗広言が、近衛家の日向国島津荘(宮崎県都城市)の荘官として下向したのに由来する。
・ 島津家の祖の忠久は、近衛領の島津荘の下司を務めた惟宗広言の子。

# 九州を代表する氏族で鎌倉時代以降、薩摩国を中心に栄えた。

# 島津家は鎌倉時代に信濃国でも地頭を務める他、越前国伊賀国讃岐国など各地に所領を持った。

# 島津から派生した名字には、「伊作(いざく)」「伊集院」「樺山(かばやま)」「川上」「町田」「山田」「和泉」「新納」などがある。

# 主なルーツ地
・ 日向国諸県郡島津庄(宮崎県)をルーツとする。

# 長野県の島津家

# 宮崎県の島津家

# 鹿児島県の島津家

# 歌手の島津亜矢は熊本県熊本市の出身。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 鹿児島県の島津氏: 薩摩国の戦国大名。祖の島津忠久は文治元年(1185年)に伊勢国須可荘(三重県)の地頭と島津荘の下司を得、翌年には信濃国でも地頭職を得た。鎌倉時代には大隅国の守護に任ぜられ、後に日向国の守護も務めた。後に一度失脚したがすぐに薩摩国守護職となった。さらに、信濃国越前国伊賀国隠岐国などの所領も得たが、建治元年(1275年)に鎌倉幕府の命にて薩摩国下向した。南北朝時代には北朝に属し、島津貞久が三男の師久に薩摩国の守護を、四男の氏久に大隅国守護を譲り、氏久の子孫は奥州島津家として嫡流となる。また師久の子孫は総州島津家を称した。
・ 佐土原島津家: 島津貴久の子の家久が日向国佐土原(宮崎県宮崎市佐土原町)を領して佐土原島津家を興した。子の島津豊久は関ヶ原の戦いで戦死したため、徳川家康によって一旦所領は没収されたが、後に貴久の甥の以久が3万石で再興した。
・ 垂水島津家: 奥州家の島津友久は相州島津家を称し、相州島津家から本家を継いだ貴久の弟の忠将は戦死したが、その子の以久が慶長4年(1599年)に大隅国垂水郷(鹿児島県垂水市)に住んで垂水家となった。以久が佐土原島津家を継いだので、以久の孫の久信が垂水家を継いだ。
・ 宮之城島津家: 相州島津家の忠良の三男の直久を祖とし、薩摩国薩摩郡宮之城郷(鹿児島県垂水市)に移り宮之城島津家となった。江戸時代は1万5700石。
・ 日置島津家: 島津貴久の三男の蔵久が天正8年(1580年)に薩摩国祁答院で1万7300石を領して宮之城に住んだ。後に三代の常久が薩摩国日置郡日置郷(鹿児島県日置市)に住んで日置島津家となった。
・ 永吉島津家: 島津貴久の四男の家久が日向国佐土原を領したのが祖で、関ヶ原の戦い後一時佐土原は没収されたが、慶長17年(1612年)に薩摩国日置郡永吉郷(鹿児島県日置市)を賜り永吉島津家となった。
・ 総州島津家: 島津貞久の三男の師久を祖とし、本家の奥州家との争いに敗れて没落し島津守久は肥前国に逃れた。
# 兵庫県の島津氏: 播磨国揖保郡の国人。島津家の初代の忠久の子の忠綱が越前国の守護となって下向し、越前島津氏を興した。忠綱の子の忠行が播磨国揖保郡下揖保荘(兵庫県たつの市)の地頭となり播磨島津氏を興した。天文3年(1534年)に赤松氏とともに滅亡した。
# 長野県の島津氏: 信濃国水内郡の国人で薩摩の島津氏の一族。承久3年(1221年)に島津忠久が信濃国水内郡太田荘(長野県長野市)の地頭となったのに始まる。子孫は赤沼島津氏と称し、戦国時代には武田信玄に属し、江戸時代には米沢藩士。また、一族の長沼島津氏は戦国時代には上杉氏に属し、上杉家の会津移封にともなって信濃を離れ、江戸時代には出羽国米沢藩上杉家の家老として800石。

■ 島津荘(しまづのしょう): 平安時代から戦国時代にかけて日向国にみられた荘園名で日向国大隅国薩摩国の3国にまたがる。
 次に、当荘と島津氏についてであるが、建久図田帳によれば、「右衛門兵衛尉」すなわち惟宗(島津)忠久がこの広大な荘園の惣地頭として見える。忠久はすでに元暦2年8月17日には源頼朝から島津荘下司職に任じられており、文治2年4月3日までには荘地頭(惣地頭)職に補任されて、さらに建久9年には薩摩・大隅・日向3国の守護になったと思われる(島津家文書/大日古)。忠久の出身は不明な点が多く、頼朝落胤説もあるが、彼は惟宗姓であり、惟宗広言の子であり、近衛家の所従とする説などがある。【角川日本地名大辞典】


■ 島津源蔵(島津製作所の創業者)は京都の醒ヶ井魚棚(京都府京都市堀川六条付近)の仏具師の家に生まれた。島津家の祖先は井上氏を称し、播州姫路の黒田官兵衛に仕え、関ヶ原の合戦の頃には明石に住んでいた。関ヶ原の合戦で退却途中の薩摩の島津隊が播磨灘で海難にあったときに助けた功で、島津姓と「丸に十の字家紋」を賜った。

■ 島津家では要所に外城をおいた。その外城に由来する名字が、伊集院、入来院など。本家の二男の子孫にあたる家を「一門家(いちもんけ)」、三男以下の子孫を「一所持家(いっしょもちけ)」といった。

■ 島津重豪

■ 薩摩藩 ・ 佐土原藩

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