「斎藤・斉藤」の名字の由来
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 「藤」族の名字

■ 斎藤・斉藤(さいとう)

【2016/12/10:改編】

# 第10位【第一生命ランキング

# 斉藤: 第20位 約53万人【明治安田生命ランキング2008

# 斉藤: 第26位 約46万人【明治安田生命ランキング2013

# 斎藤: 第21位 約52万人【明治安田生命ランキング2008

# 斎藤: 第17位 約59万人【明治安田生命ランキング2013

# 斎藤: 第30位約40万人【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】

スポンサーリンク
スポンサーリンク

【斉藤】
# 全国順位(森岡浩ランキング): 38位
# 全国密度順位(森岡浩ランキング): 新潟県 > 島根県 > 長野県
# 全国人口順位(森岡浩ランキング): 新潟県 > 北海道 > 東京都

# 本来は旧字体の「齋藤」と書いたが、後に「斎藤」と書くようになった。また「斉藤」の「斉」は本来語源と違う字だが、使われるようになり、「斉」の旧字体の「齊藤」も使われるようになった。

# 漢字の意味
・ 「齊」「斉」: 「ととのえる」「まとめる」「おなじ」という意味。
・ 「齋」「斎」: 「神仏につかえるために、心身を清める」という意味。

# 名字由来netによると

19位 斎藤 # 全国に約57万人。東日本に多くみられる。
39位 斉藤 # 全国に約35万人。西日本に多くみられる。
279位 齋藤 # 全国に約8万人。
598位 齊藤 # 全国に約3.5万人。
スポンサーリンク
スポンサーリンク

# 代表家紋: 「撫子紋」「下がり藤紋
・ 斉藤は古くから斎藤の略字として使われた。
・ 斎藤実元首相(岩手県の出身): 「丸に片喰紋
・ 斎藤道三は「道三波紋
・ 作家の斎藤緑雨(三重県の出身): 「丸に撫子紋

# 藤原北家利仁流

# 藤原利仁の子の藤原叙用(のぶもち)が伊勢神宮の斎宮頭(さいぐうのかみ)となり斎藤姓を名乗ったのが始まり。ほかの「さいとう」もルーツは同じ。利仁は越前国を本拠とした。利仁の母親は越前の豪族の秦氏の出。

# 斎藤は関東、東北に多い。西日本では斉藤が中心で、斎藤はあまり見られない。

# 話しは変わるが、福島県の南会津町に「斎藤山(1278m)」という山がある。読んでじのごとく「さいとうさん」である。この斎藤山で平成22年10月24日に『ふれあい登山「斎藤さーん いらっしゃーい」』が開かれるそうだ。さいとうという名字の人以外でも参加できるそうだが、全国の「さいとう」さん、参加してみてはいかがでしょうか。

# 斎藤氏は平安時代末期から武蔵国など各地に移住し、「加賀斎藤氏」「弘岡斎藤氏」「河合斎藤氏」「勢多斎藤氏」などがでたが、一番有名なのは「美濃斎藤氏」だそうだ。「能登斎藤氏」や「越後斎藤氏」は加賀斎藤氏の同族。「越中斎藤氏」は「美濃斎藤氏」の同族。武蔵の斎藤氏は越前の河合斎藤氏の支流。

# 斎藤からから派生した名字には、「加藤」「富樫」「」「進藤」「後藤」「吉原」「加賀」「松任」などがある。

# 歴史上有名なのは、美濃の「斎藤道三」か。でも斎藤道三は一介の油商人で松波(長井?)と言ったらしい。また平安時代末期の武士に斎藤実盛がおり、実盛は越前国の出で、武蔵国長井荘(埼玉県熊谷市)に転じ、長井別当と言われた。

# 歌人の斎藤茂吉は山形県上山市金瓶の出身だが、浅草で医院を開業し同郷の斎藤紀一の次女の輝子と結婚して斎藤を名乗った。プロ野球の斎藤佑樹は群馬県太田市の出身。

# 斎藤家: 河内の斎藤家、肥前の斎藤家。
・ 河内斎藤家: 利仁の曽孫の伊博(これひろ)から、子の則光に受け継がれ、後に河内斎藤と呼ばれた。後藤家は則光の弟の子の則明(のりあき)に始まる。
・ 肥前斎藤家は斎藤範門(のりかど)が肥前国墓崎(はかざき)に移り住んで後藤を名乗った。

# 青森県の斎藤家

# 岩手県の斎藤家

# 宮城県の斎藤家

# 山形県の斎藤家

# 埼玉県の斎藤家

# 石川県の斎藤家

# 岐阜県の斎藤家

# 斎藤長安: 承久の乱以降、鎌倉幕府の勢力が全国に及ぶようになり、地頭と荘園領主の紛争が増加した。そのため幕府は法律に詳しい太田康連(やすつら)や斎藤長安と協議して1232年に「御成敗式目(貞永式目)」51カ条を制定した。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 岐阜県の斎藤氏: 美濃国の戦国大名で藤原北家利仁流。利仁の子の叙用(のぶもち)が伊勢神宮の斎宮頭となり斎藤氏を称した。利仁は越前国を本拠とし、子孫は北陸一帯に勢力を広げた。利仁は藤原時長が越前国の国司だったときに、秦氏の出の越前国の押領司の長畝大夫豊国の娘との間に生まれたという。後に疋田斎藤氏と河合斎藤氏に分かれた。美濃の斎藤氏は、越前国足羽郡河合荘(福井県福井市川合)を本拠とした河合斎藤氏の末裔で、河合斎藤氏からは河合、坂南、藤島、木田、安原、稲津、河島、脇本などの一族が出た。美濃の斎藤氏は土岐氏の守護代を務め、後に土岐氏に代わって美濃の実権を握ったが、その後家宰の長井氏に取って代わられた。その後、長井氏を継いだ西村新九郎が斎藤氏の名跡をも継いで斎藤道三を称した。
# 新潟県の斎藤氏: 越後国刈羽郡の国人で加賀の斎藤氏の一族。子孫は米沢藩士。
# 富山県の斎藤氏: 越中国婦負郡の国人で藤原北家利仁流の疋田斎藤氏の末裔。戦国時代には上杉氏に属していたが、謙信が死亡後いろいろあって、浜松で徳川家康に仕え下総国近江国で1500石。
# 群馬県の斎藤氏: 上野国吾妻郡の国人で、戦国時代には山内上杉氏に従っていたが、後に北条氏に属したが没落した。

【東北地方の苗字おもしろこぼれ話】鈴木常夫著 本の森 より
# 戦国時代に宮城県の照合館(陸奥国本吉郡本吉町)の城主だった斎藤氏は美濃から移り住んだ。
# 刈田郡の斎藤氏は平家の落ち武者で、越後国から移り住んだ。
# 福島県の斎藤氏は、越後国上杉氏に従って移り住んだ人たち。

【新編日本姓氏辞典】千葉琢穂編著 展望社 より
# 鎌足七大中宮亮房前の孫_利仁流利仁の子斎宮寮頭叙用(のぶもち)は斎宮寮頭であったが故に、世間では斎藤と称した。後に加賀斎藤、弘岡斎藤、疋田斎藤(越前権介為頼)、鏡斎藤、河合斎藤(豊前権守助宗)、長井斎藤(実盛)、勢多斎藤、吉原斎藤(吉原四郎光則)の諸氏に分かれ大いに広まった。
・ 長井斎藤: 武蔵国幡羅郡長井(埼玉県熊谷市)に住んで長井を名乗った。子孫は武田氏に仕えたが後に徳川家に仕えた。

【姓氏苗字事典】丸山浩一著・金園社刊 より
# 「斎」は「身をつつしむこと」を意味する。
# 斎藤叙用(もちのぶ)は藤原利仁の子で斎宮頭として伊勢神宮に奉仕したので斎藤を称した。
・ 加賀斎藤: 加賀介に任じられ、加賀・能登・越中・越後に広まった。
・ 疋田斎藤: 越前国敦賀郡疋田に由来する。
・ 河合斎藤: 越前国足羽郡河合に由来し、美濃に広まった。
・ 吉原斎藤: 越前国坂井郡吉原に由来する。

【一個人 2013年12月号】
# 斉藤(38位)
・  斎藤氏と斉藤氏の分布はほぼ同じ。→ そうなのか?

■ その他の「さいとう」さん

■ 「斎藤・斉藤」の地名


【ワンポイント】

■ 本来は「斎藤」なのに、どうして「斉藤」の表記が生まれたのか?一説(TBSテレビの「この差って何ですか?」)によると、明治の名字必称令で戸籍に登録するときに、登録者が「さいとう」と言ったものの、処理する官吏が漢字がわからずに「斉藤」と戸籍に登録された、とあるが、ならその間違いが西日本を中心に生じたということなのか?それなら、江戸時代には斉藤の表記はなかったことになるがどうなんだろう?たしかに歴史的人物の表記は「斎藤」で、「斉藤」表記は見当たらず。でもねぇ、なんとなく腑に落ちない。
 私見だが、西日本の名字の画数は東日本の名字の画数に比べて少ないと言われる。そういった背景もあって、西日本では簡単な「斉藤」表記が好まれて使われるようになったのではないだろうか?

■ 外部リンク:  「斎藤」「斉藤」「齋藤」「齊藤」なぜ4通り存在するのか(NEWSポストセブン)

スポンサーリンク
スポンサーリンク
都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ 【名字と地名の掲示板】 御質問・御意見などはこちらにどうぞ。

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細

統計表示