「佐藤」の名字の由来
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  「藤」族の名字
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■ 佐藤(さとう)

【2016/12/08:改編】

# 第1位【第一生命ランキング

# 全国に約200万人

# 第1位 約199万人【明治安田生命ランキング2008

# 第1位 約196万人【明治安田生命ランキング2013

# 第1位 約193万人【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】

# 【全国分布

# 全国順位(森岡浩ランキング): 1位
# 全国密度順位(森岡浩ランキング): 秋田県 > 山形県 > 宮城県
# 全国人口順位(森岡浩ランキング): 北海道 > 東京都 > 宮城県

# 藤原北家秀郷流藤原北家秀郷流波多野氏族などにみられる。

# 代表家紋: 「左三つ巴紋」「下がり藤紋」「上がり藤紋」「源氏車紋
・ 佐藤栄作元首相(山口県出身): 「丸に源氏車紋
・ 佐藤昌介(元海大総長・元男爵・岩手県出身): 「八つ水車紋
・ 佐藤春夫(作家・和歌山県出身): 「丸に三つ橘紋
・ 藤原北家秀郷流: 「源氏車紋」「下がり藤紋」を多用。

# 特に東北地方に多く、秋田県山形県では県全体の8%近くを占める(通常、一番多い名字でも1〜2%だそうだ)。山形県には「佐藤」も多いが「佐東」の名字もみられる。

# 人口比では、秋田県山形県宮城県は7%を超え、福島県岩手県でも5%を超える。絶対的人口は、北海道が一番多く、東京都宮城県がそれに続く。

# 少ない方を上げると、〜愛媛県:76位、鹿児島県:79位、和歌山県:92位、高知県:166位、沖縄県:317位。

# 平将門を滅ぼした藤原秀郷の子孫、公清が名乗り始めた東日本の代表的姓と言われている。
@ 平安時代中期に、藤原北家藤原秀郷の子孫の公清が左衛門尉となり、「左」と「藤」から佐藤という名字がおきた。
A 当時の朝廷の職位の上から2番目を「佐」といい、この「佐」を代々努めていた藤原氏も佐藤を名乗った。
B 下野国佐野荘をルーツとする佐藤氏は藤原北家_秀郷流
C 佐渡守になった藤原氏から。

# 佐藤から派生した名字には、「山内」「伊藤」「首藤(すどう)」「後藤」「尾藤」などがある。

# 公清流の佐藤氏は陸奥国信夫を本拠地とし、後に「甲斐国」「尾張国」などに拡がっていった。

# 北海道の佐藤家

# 岩手県の佐藤家

# 宮城県の佐藤家

# 山形県の佐藤家

# 東京都の佐藤家

# 神奈川県の佐藤家

# 新潟県の佐藤家

# 富山県の佐藤家

# 長野県の佐藤家

# 静岡県の佐藤家

# 岐阜県の佐藤家

# 作家の佐藤春夫は和歌山県新宮市の出身。政治家の佐藤栄作は山口県の出身。彫刻家の佐藤忠良は宮城県黒川郡大和町の出身。俳優の佐藤秀夫は東京都杉並区の出身。俳優の佐藤慶は福島県会津若松市の出身。俳優の佐藤允(まこと)は佐賀県神埼市の出身。女優の佐藤友美は愛知県名古屋市の出身。俳優の佐藤蛾次郎は大阪府高石市の出身。俳優の佐藤B作は福島県福島市の出身。テニスの佐藤直子は東京都千代田区の出身。俳優の佐藤浩市は東京都新宿の出身。政治家の佐藤ゆかりは東京都世田谷区の出身。フジテレビアナウンサーの佐藤里佳は神奈川県の出身。体操のおにいさんの佐藤弘道は東京都新宿区の出身。タレントの佐藤江梨子は東京都江東区の出身。タレント(ナマドル)の佐藤唯は山形県寒河江市の出身。ワハハ本舗の佐藤正宏は山形県天童市の出身。

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【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 岐阜県の佐藤氏: 美濃国東部の国人で源義経に従った信夫佐藤氏の継信の末裔と伝えられる。後に徳川家康に仕えて美濃国加茂郡伊深(岐阜県美濃加茂市)で1000石を与えられた。大阪の陣の功で3190石に加増され、駿府町奉行を務めた。
# 三重県の佐藤氏: 伊勢国河曲郡の国人。戦国時代には神戸氏に属したが没落したという。
# 岡山県の佐藤氏: 備中国上房郡の国人で清和源氏の出。天正2年(1574年)に毛利氏に滅ぼされた。

【東北地方の苗字おもしろこぼれ話】鈴木常夫著 本の森 より
# 歴史的に有名なのは、源義経の家臣の「佐藤継信(つぐのぶ)、忠信(ただのぶ)」兄弟。平安末期に奥州藤原氏に仕えたのが「佐藤」氏。陸奥国信夫郡(福島県福島市飯坂)の大鳥城を本拠に奥州南部の代官を務め、一時は「刈田」「名取」「亘理」「柴田」「行方」「信夫」「伊達」「岩瀬」「白河」などに及ぶ地域を支配した。佐藤基治(もとはる)の時に最盛期をむかえたが、源頼朝の奥州攻めで戦死した。基治の子の「継信」と「忠信」は源義経に仕えたとして有名だがどちらも戦死した。福島市飯坂町の医王寺は佐藤氏の菩提寺。

【新編日本姓氏辞典】千葉琢穂編著 展望社 より
# わが国最大の姓。
# 田原藤太藤原秀郷を祖とす。秀郷→二男千常(ちつね)→文脩(ぶんなが)→文行(ぶんゆき)→公光(きんみつ)→公清(さんきよ)。公清が左衛門尉に任じられ、左に藤原の藤を併せて佐藤を称したのにはじまる。よって公清を佐藤氏祖とする。
# 佐藤氏は本拠を東北(福島県信夫郡)から鎌倉幕府所在地の関東にかけて繁栄して広まり、中世以降多く著名人を輩出した。信夫郡を所領した源義経の付き人を命ぜられた佐藤継信兄弟や、古くは前佐藤判官だった西行法師などがその例である。

【姓氏苗字事典】丸山浩一著・金園社刊 より
# 佐藤氏の出自藤原北家_秀郷流が中心だが多説ある。
・ 左衛門尉の職名に由来し、吉祥漢字の佐に改めた。
・ 佐野の地名に由来する。
・ 平安末期に藤原公光が豊後国佐伯長者の娘婿になって佐伯藤大夫を称した。
・ 藤原秀郷の孫の文修が越後・佐渡の国司になって赴任し佐渡守に由来する。
# 左衛門尉公清の曽孫の義清(のりきよ)は出家して西行法師になったが、元々は徳大寺家の武士。この系統の佐藤氏は相模国伊豆国美濃国常陸国などに広まった。
# 奥州佐藤氏は陸奥国信夫郡大鳥城(福島県福島市飯坂)を本拠に栄え、平泉藤原氏に属した。飯坂温泉の医王寺は佐藤氏の菩提寺。
# 秀郷流の佐藤氏は西日本や九州にも広がった。
# 藤原北家_秀郷流_那須氏支流、波多野氏族、清和源氏為義流、村上源氏_北畠氏流、藤原北家道長流、桓武平氏族などにも佐藤氏がみられる。

★ 佐藤の名字は何故多い?
戦国時代大名になった佐藤家はなく、それが佐藤という姓が全国に広がった一因といわれている。それはどういう意味か?
そもそも、家臣が主君と同じ名字を名乗ることは一族を除いて無い。たとえば、加賀の前田氏の出は尾張国荒子で加賀に封ぜられたわけだが、その時もともと加賀国にいた、「前田」姓の一族は「前多」や「毎田」に改姓したといわれている。つまり、「佐藤」という大名がいれば、家臣やその地の地域民は主君と同じ名字を名乗れないので、その地域では佐藤という名字は広がらなかった可能性が高い。従って全国的に佐藤という名字の大名がいなかったことが、全国的に佐藤という名字が広がった一因といわれている。

# 「佐藤」の地名


【コラム】

■  「佐藤」の名字の分布
・ 「佐藤」の名字は、全国ランキングでも1位の大姓で、一般には東日本(特に東北地方)に多いとされています。そこで、平成11年度電話帳データに基づく分布(人口比)を見てみたいと思います。
・ 全国的には確かに東北地方以北に多く、また西日本では大分県や宮崎県に多いのが目立ちます。
・ 市町村単位では、意外に1位は山梨県南都留郡道志村(約30%)、続いて2位から4位には秋田県(由利郡鳥海町、由利郡矢島町、雄勝郡皆瀬村)がランクインし、それぞれ29%〜23%を占めています。そして5位には群馬県北群馬郡小野上村(約22%)がランクイン。ここまでが20%オーバー。そして、8位には山形県最上郡真室川町(約18%)、11位には山形県飽海郡平田町(約16%)、13位には山形県西田川郡温海町(現鶴岡市・約16%)がランクイン。20位は秋田県由利郡仁賀保町(約15%)。そして番外の21位に宮崎県西臼杵郡高千穂町(約14%)が見られるのが特徴的。
・ これらのデータからみると、秋田県山形県は佐藤の名字が多い(約7〜8%)と言われていますが、特に山形県秋田県の県境付近の密度が濃い傾向が見られます。
・ また、歴史的背景により、大分県にも佐藤をはじめとする東日本の名字が多いと言われていますが、こまく言えば大分県、宮崎県、熊本県の県境付近の密度が濃い傾向が見られます。
・ 山形県内では、前述のとおり秋田県との県境付近から庄内地方や新潟県との隣接地域の密度が濃い傾向が見られる他、北村山地区の密度が薄い傾向が見られます。

■ 2017年5月25日19:30からNHK(総合)で放送予定の、人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!」で「佐藤」の名字が取り上げられるようですね。【NHK

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