「熊谷」の名字の由来
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■ 熊谷(くまがい、くまがえ)

【2016/12/10:改編】

# 148位

# 全国順位(森岡浩ランキング):154 位

# 坂東平氏_北条氏

# 代表家紋は「ほやに鳩」

# 埼玉県熊谷市をルーツとする。桓武平氏の平直貞が武蔵国熊谷(埼玉県熊谷市)に住んで熊谷氏を称した。源平の合戦で、熊谷直実が源頼朝に従って、鎌倉幕府の御家人として各地に広がった。宮城県気仙沼、広島県滋賀県愛知県の熊谷氏が有名。東北地方に多く見られ、特に岩手県宮城県に多い。

# 鎌倉幕府の執権北条氏の同族で武蔵国大里郡熊谷を領したことに由来し、宮城県(気仙沼)、愛知県三河国)、滋賀県近江国)、広島県安芸国)などにも拡がった。
・ 気仙沼の熊谷氏: 熊谷直国の弟の直宗が陸奥国気仙沼(宮城県気仙沼市松川)に下向したのに由来する。
・ 安芸の熊谷氏: 熊谷直時が安芸国安佐郡三入荘(広島県広島市安佐北区可部町)の地頭になったのに由来する。
 三入荘: 平安時代末期から戦国時代にかけてみられる荘園名。承久3年9月6日、武蔵国熊谷郷に本拠を置く鎌倉御家人の熊谷直時が、承久の乱の勲功賞として三入荘地頭職に補任された。
・ 近江の熊谷氏: 熊谷直正が近江国浅井郡塩津荘(滋賀県長浜市西浅井町)の地頭になり、その子が土着したことに由来する。

# 東北地方を中心に東日本に集中してみられる。

# 青森県弘前市の熊谷は「くまたに」と読み、福岡県では「くまがえ」と読む。

# 熊谷という地名は屈折地形を開拓したことに由来。

# 「くまがい」の「がい」の語源は「開発」の「かい」らしい。

# 熊は隈、谷は開拓の意味。つまり熊谷は、まだ開拓されていない隅地を開拓した。

# 宮城県の熊谷家: 熊谷直宗は鎌倉時代のはじめに、赤岩城(宮城県気仙沼市)を本拠とし、勢力を拡大した。室町時代には葛西氏に従い、戦国時代には伊達家の家臣。江戸時代には仙台藩士。

# 埼玉県の熊谷家

# 東京都の熊谷家

# 長野県の熊谷家

# 静岡県の熊谷家

# 愛知県の熊谷家

# 広島県の熊谷家

# 福岡県の熊谷(くまがえ)家

# 主なルーツ地
・ 陸奥国気仙沼(宮城県気仙沼市松川)にをルーツとする。
・ 安芸国安佐郡三入荘(広島県広島市安佐北区可部町)をルーツとする。
・ 近江国浅井郡塩津荘(滋賀県長浜市西浅井町)をルーツとする。

# 画家の熊谷守一は岐阜県中津川市の出身。小説家の熊谷達也は宮城県仙台市の出身。タレントの熊谷真実は東京都杉並区の出身。女子サッカーの熊谷紗希は北海道札幌市の出身。

# 熊谷直実(なおざね): 永治元年(1141年)に武蔵国大里郡熊谷郷を本拠とした熊谷直貞の二男。熊谷氏は桓武平氏の出という節と武蔵七党の私市党か丹党の出という説がある。直実の母親は私市党の小沢氏の出といわれる。一ノ谷の合戦で平敦盛を討ち取ったが、後に所領没収後に出家したと言われる。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 宮城県の熊谷氏: 陸奥国気仙地方の国人で武蔵国大里郡熊谷郷(埼玉県熊谷市)をルーツとし、桓武平氏の出。平維方の二男の盛方の子の直貞が京から武蔵国熊谷に逃れて熊谷氏を称した。気仙沼の熊谷氏は文治5年(1189年)直国の弟の直宗が下向して赤岩城(宮城県気仙沼市)に拠ったのが祖。葛西氏に従い、葛西氏が滅亡後には伊達氏に仕え、江戸時代には仙台藩士。気仙地方には他の系統の熊谷氏もみられ、桓武平氏葛西氏の支流で千葉重隆が母方の姓をとって熊谷氏を称したという。
# 広島県の熊谷氏: 安芸国の戦国大名で、桓武平氏の熊谷氏の一族。承久3年(1221年)に、熊谷直時が安芸国安佐郡三入荘(広島県広島市安佐北区可部町)の地頭となり土着した。南北朝時代には北朝方に属したが落城した。後に毛利元就の重臣で1万6千石を領し、江戸時代には長州藩士。

# 「熊谷」の地名

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