「大塚」の名字の由来
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■ 大塚(おおつか)

【2016/08/19:改編】

# 89位

# 第82位 約21万人【明治安田生命ランキング2008

# 第81位 約22万人【明治安田生命ランキング2013

# 代表家紋: 「丸に唐団扇紋」(団扇紋は武蔵七党の児玉党が使い始めた)

# 大塚とは「土が盛り上がった小高い丘」という意味の他、「古墳」や「墓」全般を意味する。

# 橘姓楠木氏流などに見られる。

# 地形由来の名字。

# 関東地方九州地方に多くみられる。特に栃木県芳賀郡益子町を中心に茨城県西部から埼玉県北部にかけて多くみられる。九州では大分県竹田市付近から熊本県阿蘇地方にかけて、福岡県の筑豊地方に多くみられる。

# 常陸の大塚氏は常陸国多珂大塚(茨城県北茨城市磯原町大塚)をルーツとし、藤原氏の出。

# 出羽の大塚氏は出羽国置賜郡大塚(山形県東置賜郡川西町大塚)をルーツとし、藤原氏の出。

# 上野国吾妻郡大塚村をルーツとする。 → 名字の移動

# 下野の大塚氏は下野国都賀郡大塚(栃木県栃木市)をルーツとし、藤原北家の出。

# 近江の大塚氏は近江国蒲生郡大塚(滋賀県東近江市)をルーツとする。

# 日向の大塚氏は日向国宮崎郡大塚村(宮崎県)をルーツとする。

# 河内国丹比郡大塚村が起源(ルーツ)である、橘姓楠木氏流。

# 常陸国多珂荘大塚郷(茨城県北茨城市磯原町大塚)の大塚氏は「菅俣城」を本拠とし、新田義貞の鎌倉幕府攻撃に従い功績をあげた。

# 発祥の地は全国に存在するが、常陸国茨城県)の大塚氏は藤原氏の流れをくむと言われている。現在の茨城県北茨城市付近にあった多珂荘大塚郷の地頭だった大塚一族は新田義貞の鎌倉幕府攻撃に参加し、数々の武勲をたてた。

# 茨城県の大塚家

# 三重県の大塚家

# 女優の大塚寧々は東京都出身。民謡の大塚文雄は山形県河北町出身。大塚製薬の創業者の大塚武三郎は徳島県鳴門市出身。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 茨城県の大塚家: 常陸国多珂郡の国人で常陸国多珂郡大塚(茨城県北茨城市磯原町大塚)をルーツとし、藤原氏の出。新田義貞に従い、後に大塚郷の地頭となる。戦国時代には岩城氏に属し、岩城氏の改易後滅亡した。
# 山形県の大塚氏: 出羽国置賜郡の国人で藤原氏の出。鎌倉時代に大塚親行が大塚城(山形県東置賜郡川西町大塚)に拠り、戦国時代には伊達氏に仕え、江戸時代には仙台藩士。
# 滋賀県の大塚氏: 近江国蒲生郡の国人。大塚城(滋賀県東近江市)に拠り、六角氏に従った。菅原道真の子の高視の末裔と伝えられる。

【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】
# 大塚
・ 「塚」とは「墓」のことだが、厳密には「土が盛り上がった墓」のことをいうようです。
・ 「はか(墓)」の語源は、「はふり(放る)」ところ。
・ 河内国丹比郡大塚の出で楠木氏の支流、近江国蒲生郡大塚の出で佐々木氏の支流、日向国宮崎郡大塚の出の土持氏の支流などがある。

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