「小笠原」の名字の由来
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■ 小笠原(おがさわら、おかさわら)

【2016/08/22:改編】

# 232位

# 甲斐源氏加賀美流などにみられる。

# 代表家紋: 「三階菱紋

# 東北地方より北、東海地方四国地方に多く見られる。

# 青森県:13位、岩手県:27位、高知県:50位、秋田県:54位、北海道:88位、山形県:107位など。

# 甲斐国巨摩郡小笠原村(山梨県南アルプス市)を発祥の地とする。

# 小笠原から派生した名字には「三村」「浅原」「跡部」「打越(うちこし)」「大井」「大倉」「下条」「二木」「」「船越」「三好」などがある。

# 甲斐国巨摩郡小笠原村(山梨県南アルプス市)を発祥の地とする。12世紀の初めに弓矢の名主として高倉天皇に仕え、甲斐国武田氏武田信義の弟であり、加賀美氏の祖である加賀美遠光(とうみつ)の次男の長清(ながきよ)がこの地に土着し小笠原を名乗った。

# 小笠原氏は鎌倉時代に本拠地を信濃国に転じ、室町時代には守護を務めた。

# 小笠原家氏の嫡流は信濃国を領地としたが、他に庶流は「山城国(京都)」「阿波国」「備前国」「備中国」「石見国」「三河国」「遠江国」「陸奥国」に拡がった。

# 戦国時代には、その領地を武田家に奪われるが、江戸時代には譜代大名として信濃国飯田5万石(後に信州松本8万石)を拝領する。

# 小笠原家は甲斐国の小笠原にあったが、鎌倉幕府や室町幕府で礼法の伝承を家業とした。小笠原貞宗が足利尊氏から信濃の守護に任命され、信濃国に移り住んだ。南北朝の頃、お家騒動で深志(松本)系と松尾(飯田)系に分かれた。江戸時代は北九州小倉を領地とし、小倉城の庭園内に小笠原礼法の博物館がある。

# 旗本の小笠原家は藤原南家

# なお、室町時代以降、武家社会の有職故実(ゆうそくこじつ)を伝える役割を担い、武家の作法の小笠原流の流れとなる。
※ 有職故実とは古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。

# 福井県の小笠原家

# 長野県の小笠原家

# 兵庫県の小笠原家

# 福岡県の小笠原家

# 佐賀県の小笠原家

# 熊本県の小笠原家

# プロ野球の小笠原道大は千葉県千葉市の出身。

# 小笠原氏は後に小笠原諸島を発見

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 長野県の小笠原氏: 信濃国の戦国大名で清和源氏の出。加賀美遠光の二男の長清が甲斐国巨摩郡小笠原(山梨県南アルプス市)に住んで小笠原氏を称した。長清は源頼朝に従って功を成し信濃国伴野荘(長野県)の地頭となり、後に阿波国守護も務めた。
・ 深志家: 小笠原氏の嫡流で府中小笠原氏ともいう。天文19年(1550年)に武田信玄によって信濃から追われ、小笠原貞慶は織田信長に仕え、後に徳川家康に仕え、1589年に旧領を回復した。家康の関東入国に際しては下総国古河3万石を賜り、関ヶ原の戦いの後には信濃飯田5万石から松本8万石。播磨明石10万石を経て1632年に豊前小倉15万石。
・ 松尾家: 松尾家は小笠原政康の子の宗康・光康兄弟が持長と争って府中を去り、信濃国伊奈郡松尾(長野県飯田市)に住んだのに始まる。武田信玄に仕え、武田氏が滅亡後には家康に仕え、家康の関東入国に際しては武蔵本庄1万石を領す。のちに、下総古河2万石から関宿2万2700石、美濃高須を経て1691年に越前勝山2万2700石。
# 徳島県の小笠原氏: 阿波国の戦国大名で、阿波の守護を務めた小笠原長房の四男の長宗を祖とする。長宗我部氏に敗れる。
# 高知県の小笠原氏: 土佐国長岡郡の国人で阿波の小笠原氏の一族が室町時代に土佐国に転じた。江戸時代には土佐藩士。
# 島根県の小笠原氏: 石見国の戦国大名。江戸時代には長州藩士。
# 愛知県の小笠原氏: 三河国幡豆郡の国人。江戸時代には尾張藩の重臣。

■ 小笠原(おがさわら): 山梨県南アルプス市小笠原(おがさはら)。当地は紀貫之によって「みやこまでなつけて索くは小笠原逸見の御の駒にやあるらん」とうたわれた小笠原のの中心をなし、牧場時代の多くの遺跡や地名を残している。また、甲斐源氏の台頭とともにその一族小笠原長清の支配地となったといわれ、地内厚芝に長清の館跡やその墓と伝えられる五輪塔が残されている。【角川日本地名大辞典】

■ 小笠原(おがさはら): 山梨県北杜市明野町小笠原(おがさはら)。地名の由来は、この地方が荒廃した原でスゲが多く生えており、スゲは小笠を作る材料であることから小笠原と呼んだとも、あるいは荒廃した原で小竹立原といったのを竹と立がいっしょになって笠となったともいわれる。甲斐源氏の勇である小笠原長清は鎌倉期に小笠原荘に拠って勢力を扶植し、この地の惣領職を伝領していった。【角川日本地名大辞典】

■ 小笠原(おがさはら): 甲府盆地西部、御勅使(みだい)川扇状地のほぼ扇央に位置し、釜無川の支流滝沢川に沿う。市之瀬台地などの「根方」、釜無川の氾濫原などの水田地帯の「田方」に対し、当地周辺の御勅使川扇央の畑作地帯を「原方」と呼び、御勅使川扇央の旱魃地帯の7か村「原七郷」の1つである。地名の由来は、この地方が荒廃した原でスゲが多く生えており、スゲは小笠を作る材料であることから小笠原と呼んだとも、あるいは荒廃した原で小竹立原といったのを竹と立がいっしょになって笠となったともいわれる。甲斐源氏の勇である小笠原長清は鎌倉期に小笠原荘に拠って勢力を扶植し、この地の惣領職を伝領していった。【角川日本地名大辞典】
・ 小笠原氏館(おがさわらしやかた): 中世の館。甲斐源氏加賀美次郎遠光の子、小笠原次郎長清の館という。長清は地名をとって小笠原氏を称するが、小笠原の地名は現在、中巨摩(なかこま)郡櫛形町小笠原と北巨摩郡明野村小笠原の2か所にあり、それぞれに館跡の伝承がある。明野村は平安期には小笠原があった地域である。一方、櫛形町小笠原からは長清の父、遠光の拠点であった中巨摩郡若草町加賀美まで南東へ約2Kmである。櫛形町小笠原の小笠原氏館は、現在の小笠原小学校の付近にあったとされるが、館としての形を伝えるものはなにもない。小笠原氏はのちに信濃に勢力をもち、室町期には信濃守護となった。戦国期には武田信玄とも戦っているが、やがて近世大名として発展する。【角川日本地名大辞典】

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