消えた地名
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地名の分布 消えた地名「山形」編
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※ 消え地名。調べて見ると今でもあるみたいなのもあるようですね。

■ 安保(あぼ): 武蔵国。阿保とも書いた。丹党の一族安保氏の本拠地。

■ 安保町(あぼちょう): 江戸時代から明治初頭にかけて山城国(京都府京都市)にあった町名。

■ 荒船里(あらふねがり): 古代に山城国綴喜郡にみられた条里の里名。京都府綴喜郡宇治田原町付近。【角川日本地名大辞典】

■ 井伊(いい): 古代から江戸期にかけて遠江国にあった地名(保・郷)で渭伊とも書いた。
・ 渭伊郷(いいごう)は「和名抄」によると遠江国引佐(いなさ)郡四郷の1つ。静岡県浜松市(旧引佐町)付近などの説がある。
・ 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷。一応、地名は残ってるのか。

■ 井伊(いい): 室町時代に近江国高島郡川上荘(滋賀県現在の高島郡今津町)にあった地名。
・ 井伊家がこの地に来たのは江戸時代以降。この地名は室町時代からあったわけだから、井伊家に由来するものでもないだろうが、由来はなんだ?

■ 伊井(いい): 江戸時代から明治初頭にかけて近江国にあった地名。井伊とも書いた。

■ 何鹿郡(いかるがぐん): 古代から近代にかけて、丹波国にあった郡名。「和名抄」では訓を「伊加留我(いかるが)」としている。「和名抄」には賀美・拝師・八田・吉美・物部・吾雀・高殿・私部・栗村・高津・志麻・文井・小幡・漢部・三方・余戸の16郷が記されている。【角川日本地名大辞典】

■ 砂金本郷(いさごほんごう):  宮城県柴田郡川崎町本砂金(もといさご)。戦国時代に陸奥国柴田郡にあった郷名。
・ 川崎(かわさき):  宮城県柴田郡川崎町。陸奥国柴田郡前川村のうち。江戸初期までは砂金(いさご)と称されていた地域。笹谷街道の宿駅で、前川村の中心的町屋敷を形成。以後川崎町と称する。【角川日本地名大辞典】
※ ということは、昔は砂金本郷がこの地の中心地だったのか?

■ 犬居郷: → 詳細

■ 不入斗(いりやまず): 東京都大田区

■ 印鑰(いんにゃく): 戦国時代に肥前国佐賀郡にみられた地名。国衙の印や正倉の鍵を保管し祀った印鑰社に由来する。

■ 勝手が原(かってがはら): 東京都の赤羽付近に江戸時代に見られた俗称地名。昔は原野で太田道灌が出陣のとき、ここで兵を整えた場所と言われる。

■ 金子郷(かねこのごう): 武蔵七党のうちの村山党金子氏の本拠地であった。金子氏の起こりは,村山頼任の孫家範が金子郷に住し,金子六郎と称したのがはじまりである。家範の次男家忠は金子氏の全盛を誇り、金子丘陵の端上に菩提寺木蓮寺を創建し、側に居館を構えた。現在の入間市西部金子・東金子地区のあたり。

■ 上九一色村(かみくいしき村): 山梨県西八代郡上九一色村
・ 山梨県西八代郡上九一色村(かみくいしきむら) → 山梨県甲府市、山梨県富士吉田市。平成18年に村は分割して甲府市と富士吉田市に編入。
・ 九一色(くいしき): 山梨県旧(上・下)九一色村。1577年に武田勝頼が九一色郷の諸役免除のお触れを出したことからここに九の村があったとされる。一色は昔で言う租庸調の年貢の内一つを納めれば良いということ。これが合わさったんでしょうね。
・ 山間地帯に立地するため耕地が乏しく、木工で生計を立てたことから「工一色」といわれ、のちに9郷が生じて工が九に改められたと伝える。【角川日本地名大辞典】

■ 私市荘(きさいちのしょう): 平安時代に近江国にあった荘園。

■ 北一(きたいち): 旧越中国。北市とも書き、往古の市場名との説もある。

■ 北島町(きたじまちょう): 東京都中央区日本橋茅場町付近にあった地名。

■ 群馬の島(ぐんまのしま): 織豊期(安土桃山時代)に肥前国彼杵(そのぎ)郡にみられた地名。当島は伊王島(長崎県長崎市伊王島町)に比定される。【角川日本地名大辞典】

■ 恋ヶ窪(こいがくぼ): 東京都国分寺市

■ 笄町(こうがいちょう): 東京都港区麻布

■ 小右衛門町: 東京都足立区梅島二丁目?「梅島=埋島」で、完全に災害地名だよなぁ?

■ 挙母(ころも): 愛知県豊田市(旧挙母町)。
・ 愛知県挙母町 → 愛知県豊田市 「挙母」は古事記に「許呂母(ころも)」の地名で出てくる。
・ @垂仁天皇の子孫の許呂母別(ころもわけ)垂仁が当地に降臨したことに由来する。A山や川をくるむ地形に由来する。【地名苗字読み解き事典 丹羽基二 柏書房】

■ 去返(さるがえし): 旧陸奥国(岩手県)に平安時代にみられた地名。今日の猿ケ石(さるがいし)川はこの去返にちなむものと言われる。
・ 「類聚国史」の延暦24年3月6日条には、播磨国夷第二等去返公嶋子に、姓浦上臣を賜ったとある。この蝦夷は播磨国に移配されていたもの。蝦夷の君公姓はその支配する蝦夷村にちなむ。だからこの去返公は去返村の公だったものと考えてよいのである。【角川日本地名大辞典】
・ 去返公とは、朝廷が猿ケ石川流域の蝦夷の族長に与えたもの。

■ 死野(しにの):  兵庫県朝来市生野町
・ 荒ぶる神が通行人の半分を殺したことに由来する。播磨国_風土記によると、応神天皇が、「死野」は良くないとして、「生野(いくの)」にあらためた。生野銀山など。
・ 荒ぶる神というのは、例えば台風や豪雨などの気象現象を指すんでしょうねぇ。雷神という言葉もありますしね。つまり、この地は古代の災害で多くの死者を出したということではないでしょうか?

■ 相撲町(すもうちょう): 旧加賀国(石川県金沢市)。3代藩主の前田利常が多数の力士を召し抱え、居宅を当地に与えたことに由来する。

■ 世界橋(せかいばし): 江戸時代から明治時代の初頭にかけて、加賀国金沢にあった町名。町名の由来は、青草辻から近江町を通る西内惣構との堀に架かる橋を接待橋と呼んだのが、後に誤って世界橋と唱えるようになったという。【角川日本地名大辞典】

■ 接待町(せったいまち): 江戸時代に尾張国熱田にあった町名。熱田神宮への参詣者の接待所に由来するとも言われる。

■ 伊達町(だてまち): 東京都渋谷区恵比寿付近。東京都内かつてあった町名で現在の東京都渋谷区恵比寿付近 。豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字伊達前(だてまえ)・伊達跡。伊予宇和島藩伊達家の下屋敷があったことに由来する。

■ 談議所(だんぎしょ): 旧加賀国。談儀所・談義所とも書く。二条家領小坂荘の鎮守春日神社の神宮寺の談議所があったことに由来する。

■ 勅旨郷(ちょくしのごう): 大阪府高槻市周辺?勅旨に由来するものと言われる。

■ 勅旨村(ちょくしむら): 江戸時代から明治初頭にかけて、岡山県岡山市付近にあった村名。

■ 利波郷(となみのごう): 津波郷(つなみのごう)とも言った。奈良時代から平安時代にかけて、越後国にみられた郷で現在の新潟県村上市瀬波付近と言われる。地震の津波に由来するとも、越中国礪波郡からの移民に由来するとも言われる。

■ 名胡桃(なぐるみ): 群馬県利根郡みなかみ町下津
・ 平安時代には「呉桃郷」、戦国時代には「奈久留見村」の名が見える。
・ 名胡桃村: 江戸初期の村名。
# 呉桃郷: 平安期に見える郷名。「和名抄」利根郡四郷の1つ。諸本ともに奈久留美と訓む。
# 奈久留見村: 奈胡桃・名胡桃とも書いた。

■ 南島町(なんとうちょう): 三重県度会(わたらい)郡南島町
2005年10月1日に、隣接する南勢町との合併により南伊勢町となった。

■ 新田(にった): 千葉県
旧上総国の小櫃川中流域に古代に新田郷が、江戸期から明治初頭にかけて新田村があった。

■ 箸墓(はしばか)
・ 箸墓郷: 平安時代に大和国城上郡にみられた郷名。
・ 箸墓古墳(はしばかこふん): 奈良県桜井市。大市墓ともいう。この古墳が箸墓と呼ばれる由来は、崇神紀10年9月壬子条に記載される、倭迹迹日百襲姫と大物主神との神婚譚による。また造墓については、同条に、「是墓者日也人作。夜也神作。故運大坂山石而造。則自山至于墓。人民相踵。以手遞伝而運焉」と記されている。邪馬台国の卑弥呼の墓とする説もある。【角川日本地名大辞典】
・ 箸中(はしなか): 奈良県桜井市箸中。古くは箸墓と称した。地名の箸中は箸墓の転訛で、ハシは土師の義か。土師氏は陵墓の築造や喪葬儀礼に関与していた。箸の字は、崇神朝に倭迹迹姫が大市に埋葬された時その墓を「箸墓」と称したことにちなむ。姫が箸で陰を突いて薨じたためその号があり、「是の墓は、日は人作り、夜は神作る。【角川日本地名大辞典】
・ 「箸が刺さった事故で亡くなった人にちなんで箸墓と命名?」なんて書いてある本もあります。

■ 比佐村(ひさむら): 陸奥国(福島県)好嶋東荘にあった村名。福島県いわき市周辺。

■ 日奉郷(ひまつりのごう): 平安時代に筑後国にみられた郷名。「和名抄」筑後国三毛郡四郷の1つ。「太宰管内志」「地名辞書」は、大化前代における日祀部の居住地に因むかとし、比定地未詳とする。「三池郡誌」「大牟田市史」「高田町誌」などでは現在の高田町一帯に比定しているが、根拠に乏しい。古代末期に三毛北郷・同南郷が成立したことにより消滅した。【角川日本地名大辞典】

■ 日女道(ひめみち): 播磨国飾磨郡
播磨国風土記によると、飾磨郡十六里の一つの伊和里に「日女道丘」とあり、火明命が父の大汝命の船を破壊沈没させた時、蚕子(ひめこ)が落ち延びた所を日女道丘と名付けたといわれ、日女道丘は姫路城天主閣のある姫山に比定される。現在の姫路市と思われる。

■ 平尾郷(ひらおのごう): 鎌倉時代から戦国時代にかけて信濃国佐久郡大井荘に見られた郷名。当地は依田氏の支族の平尾氏の本拠地。

■ 平尾村(ひらおむら): 江戸時代から明治初頭にかけて、播磨国佐用(さよ)郡にあった村名。地名は、当地の背後にある平らな山の尾根によると言われる。

■ 三家村(みつえむら): 江戸時代から明治の初頭にかけて美作国真島郡にみられた村名。【角川日本地名大辞典】

■ 三家郷(みやけのごう): 岡山県岡山市・玉野市。奈良時代から平安時代にかけて備前国児島郡にみられた郷名。高山寺本は「美也介」、東急本は「美也希」の訓を付す。郷名は、欽明17年に、蘇我稲目らを備前の児島郡に遣わして屯倉を置き、葛城山田直瑞子を田令に任命したと伝えられる吉備児島屯倉の名にちなむ。【角川日本地名大辞典】

■ 谷地(やじ): 旧武蔵国。谷慈とも書き、南北朝期の郷名。

■ 八束村(やつかそん): 現岡山県真庭市。旭川上流域蒜山原(ひるぜんばら)と沖積平野に位置する。県村と茅部村の一部が合併して成立。合併各村の7大字を継承。村名の由来は、当初茅部村の東茅部も併せ8大字として発足する構想から八束と名付けられたといわれる。【角川日本地名大辞典】
・ 横溝正史の金田一耕助シリーズの「八つ墓村」の名前のモデルとも言われる。

■ 山奥(やまおく): 岡山県の旧上刑部村にみられた地名。地名は、小阪部より山奥にあることによると推定される。【角川日本地名大辞典】

■ 山県郷(やまがたごう): 平安時代の「和名抄」にみられる、山県郡にあった五つの郷の一つ。厳密に言えば「山県郡」として名を残す。

■ 渡辺(わたなべ): 東京市豊多摩郡淀橋町大字角筈字渡辺土手際。ここは新宿駅のかつての住所です。

■ 渡島(わたりしま): 平安期に見える地名。「日本書紀」斉明天皇4年4月条に、阿倍臣が船師180艘を率いて蝦夷を討ち、齶田・渟代2郡の蝦夷が怖れて一時に降服し、齶田の蝦夷「恩荷」が朝廷への服属を誓ったため、「恩荷」に「小乙上」を授け、渟代・津軽2郡の郡領を定め、さらに有間浜に「渡島蝦夷」らを召集し、大饗して帰る、とあるのが史料上の初見。その後寛平年間頃まで諸記録にしばしば登場するが、渡島という地名が単独で使われる例はまれで、大部分は「渡島蝦夷」「渡島狄」のように蝦夷集団の名称として使用されるという点に用例上の大きな特徴がみられる。地名の比定については諸説があるが、北海道とみる説と本州最北部のいずれかとみる見解とに大別できる。後説は、齶田・渟代・津軽地域の総称、齶田・渟代地域の総称、さらには男鹿半島とみる説に分かれる。津田左右吉氏が齶田・渟代・津軽地域の総称という見解を提示して以来、その具体的地域の比定に相違をみつつも全体として後説が通説的地位を占めて来たが、最近では北海道に比定する見解が有力になりつつある。また渡島の訓みについては「わたりしま」が有力であるが、「としま」「おしま」のいずれとも決しがたいとの見解もある。【角川日本地名大辞典】 

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