名字の歴史と雑学
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★ 名字と地名の年表

200万年前〜 # 旧石器時代
・ 明石人(兵庫県)・牛川人(愛知県)・三ヶ日人(静岡県)などが出現。
・ 打製石器を使用: 握槌(にぎりつち)、石刃(せきじん)、尖頭器(せんとうき)、細石器(さいせっき)。
・ 岩陰や洞窟に住む。
 
紀元前10000年前頃 日本列島がほぼ現在の形になる  
  # 縄文時代
・ 人口の増加、竪穴住居の発達
・ 縄文土器、磨製石器、骨角器の利用
・ 弓矢の使用。
・ 屈葬(くっそう)、土偶(どぐう)、抜歯(ばっし)の風習。
・ 原始農耕の発生
 
紀元前300年前頃 # 弥生時代
・ 大陸文化の伝来
・ 水稲稲作の普及、金属器の伝来と使用
・ 弥生土器
・ 高床住居の発生
 
紀元前1〜2世紀頃 倭は百余国に分立  
57年 倭の奴(な)国王、後漢に朝貢(ちょうこう)し光武帝(こうぶてい)から印綬(いんじゅ)を授かる。  
一世紀   志賀島への金印(漢委奴国王印)の伝来したのは一世紀で、その時点で日本国内でも漢字が認識されたと解釈できる。
239年 ・ 倭の邪馬台国の女王卑弥呼、魏に遣使し、魏の明帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号を受ける。  
285年   古事記によれば、日本に漢字が伝来したのは、285年に百済の王仁(わに)が論語を携えて渡来し、倭王に献上したのが始まりと言われる。
400年頃(古墳時代) ・ 大和朝廷ができ全国統一が進む。 ・ 一族を区別するために「姓」が使われるようになった。
・ 4〜5世紀には天皇は大王と名乗り、天皇に変わったのは7世紀末と言われる。4〜5世紀には大王は「倭(わ)」の姓を称し、「倭讃(わさん)」「倭珍(わちん)」などと名乗って中国と外交を行って居た。
670年頃 ・ 大化の改新後、天皇を中心とした国造りが始まる。 ・ 「姓」の種類が増えていく。
・ 天智天皇の頃に、日本で最初の戸籍といわれる「庚午年籍(こうごねんじゃく)」ができた。
・ 8世紀初頭: 大宝律令には「天皇の子を親王とし、親王の子を王とする」と規定されている。王号をもつものを「諸王」と呼び、天皇から数えて五代目までは「王号」を名乗ることができた。つまり、天皇からわかれた皇族は五代限り。
・ 二字佳名の詔が出された。
850年頃 ・ 藤原氏を中心とした貴族の政治が行われる。 ・ 「藤原」姓が増えすぎて、区別のために「名字」ができた。
900年頃 ・ 中央による地方支配が強化され、中央から地方に役人が送られる。 ・ 地方に住み着いた役人が、その地名をとって新しい名字を名乗る。
1000年頃 ・ 荘園をめぐる争いが多発し、武士の力が台頭する。 ・ 「源」や「平」の姓をもつ貴族が武士の頭になる。
・ 別名制(べつみょうせい)がおこる。
1190年頃 ・ 1180年、干魃により農作物の収穫が減り、1181年には養和の大飢饉で京で4万人以上の死者が出た。
・ 武士の政治が始まり「源平の合戦」が起こる。
・ 全国的に武士が大移動。それに合わせて名字も大移動。
・ 鎌倉時代に農業が急速に発展して、力をもった「豪農」層ができた。武士は豪農に自分の名字を与え、見方につけようとした。この時代に豪農層が用いた「佐藤」「伊藤」などの名字が広く広まったのに対して、農民層に名字を与えなかった名字は広まらなかった。
1600年頃   ・ 江戸幕府の成立により、大名をはじめとした武士の大移動がおこり、それに合わせて名字の大移動がおきた。
1700年頃   ・ 徳川幕府は「土地を支配する者」が用いる「名字」という表記を嫌って「苗字」の表記を広めた。そのため、江戸時代から明治時代にかけての法令では「苗字」の表記が使われた。しかし「苗字」の表記はわかりにくいのでしだいに「名字」が一般的に使われるようになった。
1870年頃   ・ 明治維新で誰でもが名字を名乗る世の中に。
・ 1870年9月19日平民苗字許可令(平民でも苗字を名乗って良い)
・ 1871年に姓尸不称令がでて、姓を名乗ることは無くなった。
 コノ時点で用語を分類した
※ 本姓は姓
※ 氏・名字は苗字
※ かばねは「尸(し)」
・ 1872年: 僧侶に名字をつけて届けさせるよう命じた太政官布告が出された。
・ 1875年2月13日平民苗字必称義務令(平民は皆苗字をなのらなければならない)。2月13日は名字の日。
# 明治時代の当初は夫婦別姓で、妻は実家の名字を名乗っていた。しかし明治31年施行の民法・戸籍法では、妻は結婚とともに、夫と共同生活に入り、夫の戸主権に服し、名字も夫と同じものを名乗るとされた。
     
     
     

■ 古代の社会制度

  天皇家
 
  地方政府 中央政府
  国造(くにのみやっこ) 豪族(氏)
 
  県主(あがたぬし) 伴造(とものみやっこ)
 
部民 部曲(かきべ) 部曲(かきべ) 田部(たべ) 御子代部(みこしろべ) 御名代部(みこしろべ)
           
居住地 田荘(たどころ) 田荘(たどころ) 屯倉(みやけ) 子代(こしろ) 名代(なしろ)

■ 当て字は単なる思いつきではなく、伝統的な背景を持っている。

■ 伊藤 × 伊東 対決
・ 藤原北家秀郷流 藤原南家工藤氏流
・ 後に、伊東が伊藤を名乗ったりしたケースもあるらしいが、家紋をみるとそれらはわかるらしい。伊藤(上り藤?)、伊東(庵木瓜)。

■ 氏と姓
古代は「氏(うじ)」と「姓(かばね)」
4世紀末の応神天皇の頃には氏族集団がおこっていた。
最初に氏があり、氏にランクをつけるためにできたのが「姓(かばね)」
5世紀の允恭天皇は「六姓」を定め。
・ 天皇の血統に近い順に、「公(きみ)」・「臣(おみ)」
・ 天孫降臨以来功労があった氏に「連(むらじ)」
・ 地方官である国造(くにのみやっこ)に直(あたい)
・ 各種の職業部(べ)の長に造(みやっこ)
・ 国造の下になる小豪族県主(あがたぬし)に首(おびと)
を与えた。
7世紀に姓(かばね)の再編成、八色の姓

■ 江戸時代には武士、公家、名主などを除く平民は名字を名乗ることは許されなかったが、名字自体はもっていた。

■ 遠藤 × 近藤
・ 遠藤氏は関東・東北に拡がり、近藤は近畿地方から西に拡がった。
・ 近藤: 藤原北家秀郷流藤原北家利仁流、藤原北家良門流

■ 「大川」という名字に比べて、圧倒的に「小川」の名字の方が多い。それは、氾濫を繰り返す「大川」のほとりに住むよりも、「小川」のほとりの方が住みやすかったからといわれる。

■ 大王(おおきみ・後の天皇)は有力豪族に「〜氏」という「姓」を与えた。
・ 蘇我氏(そがうじ): 財政担当
・ 大伴氏(おおともうじ): 軍事担当
・ 物部氏(もののべうじ): 軍事担当
・ 中臣氏(なかとみうじ): 祭礼担当

■ かつて地域の君主であった家の多くは有力な神社の神主として江戸時代末まで続いた。

■ 葛城氏(かつらぎうじ): 葛城の「葛(くず)」は、古代は「まじない」や「呪い」の力をもつとされ、葛の生える土地にも同じ力があると言われた。

■ 古代の庶民は、豪族の所有民たる部曲の「〜部」という姓をもっていた。「大伴部」「藤原部」など。しかし、それらは後に消滅していく。

■ 主な渡来人: 「漢(あや」氏、「秦(はた)」氏、「文(ふみ)」氏、「百済(くだら)」氏など。坂上田村麻呂の先祖は漢氏。

■ 雅楽を奏でる楽家
・ 楽家の筆頭は「多(おお)」家。多家は大和国十一郡飫富郷(奈良県田原本町)をルーツとし、神武天皇の皇子の神八井耳尊の子孫という。
・ 次に「豊原」家があり、天武天皇の皇子の大津皇子の子孫という。なお、「多」家が一文字のため、「豊原」家も「豊」家として「ぶんの」と読んだ。
・ 渡来人の「狛(こま)」家。明治時代に「一月一日」を作曲した「上真行」は狛家の分家の「上」家の子孫。
・ 渡来人の秦氏からでた「太秦(うずまさ)」家。早稲田大学の校歌の「都の西北」を作曲した東儀鉄笛は太秦家の分家の子孫。
・ 江戸時代以前、楽家は「京都」「奈良」「大阪」に分かれ、明治になって東京で集結し宮内庁式部職楽部となった。これらの三カ所の楽人の音には微妙な違いがあり、合同で演奏する前には一同で音合わせをした。これが「打ち合わせ」の語源。

■ 華族の数
明治11年の「華族類別録」によると華族474家の
(1) 藤原氏: 201家
(2) 清和源氏: 124家
(3) 桓武平氏: 22家
(4) 宇多源氏: 21家
(5) 村上源氏: 18家

■ 神無月は、本来神ノ月で、神に新穂を捧げる月のこと。

■ 宮廷の雅楽家。「多(おおの)」「豊(ぶんの)」「上(うえ)」「東儀(とうぎ)」など。

■ 公家源氏: 
・ 村上源氏: 久我、土御門、北畠、堀川、唐橋
・ 宇多源氏: 庭田、綾小路、五辻
・ 源氏の中でも一番栄えたのが「清和源氏」で、幕末の280家(大名」のうち、100家以上が清和源氏を称すと言われる。清和源氏のほとんどは武士となり、公家となったのは「竹内」家のみ。宇多源氏からは、「大原」「五辻」「綾小路」「慈光寺」「庭田」家の五家がある。

■ 公家の名字
藤原氏が隆盛の頃、貴族のほとんどが藤原氏だったが平安時代の後期になると「一条」「二条」「西園寺」といった貴族も出てきた。この理由には婚姻形態の変化があると言われる。昔は夫が妻の所に通う「妻訪婚(つまどいこん)」だった。この場合、苗字(家号)は父から子へと伝わらない。そして、時代が下り婚姻の形態が変わると、子供は父親と同居するようになり、親の苗字を子が継ぐようになった。このように一代限りの家号が、子へを伝えられる苗字となった。

■ 国生みの神話
# 大八島(おおやしま) 日本列島
・ 淡路之穂之狭別の嶋(あわじのほのさわけ)淡路島
・ 伊予之二名の嶋(いよのふたなのしま)四国
・ 隠岐の三子の嶋(おきのみつごのしま)隠岐島
・ 筑紫の嶋(つくしのしま)九州
・ 伊伎の嶋(いきのしま)壱岐
・ 津嶋(つしま)対馬
・ 佐度の嶋(さどのしま)佐渡
・ 大倭豊秋津嶋(おおやまととよあきつしま)本州
# 国生みの神話(続)
・ 国生みの続き
・ 吉備子洲(きびこじま)
・ 小豆島(あずきしま)
・ 知訶島(ちかのしま)
・ 両児島(ふたごのしま) 男島・女島
・ 越の洲(こしのしま) 越の国

■ 豪族の私有民は部曲(かきべ)で、穂積臣に穂積部、蘇我臣に曽我部など。

■ 五十音で最後の名字: 「分目」: 「わんめ」と読み、千葉県内に存在するのだそうだ。

■ 古代、一人称、つまり自分のことを、「あ(わぁ)」と発音した。
・ つまり「あべ」とは、「自分の部」 → 部民

■ 斎藤 × 佐藤 対決
・ 斎藤(藤原北家利仁流) ・ 佐藤(藤原北家秀郷流

■ 賜姓皇族(しせいこうぞく): 皇族の身分から離れて民間人になった際に天皇から姓を貰った。「」「清原」「在原」など。ただし、平安時代以降は、ほとんどは「源」か「平」。

■ 自然発生して、当たり前のものは記録に残っていない。

■ 職業集団は伴部(ともべ)
・ 祭祀: 忌部(いんべ)、卜部(うらべ)、神部、宮部日奉部(ひまつりべ)
・ 政治: 税部(ちからべ)、殿部、蔵部、財部(たからべ)、大宅部(おおやけべ)
・ 軍事: 物部、靭負部(ゆげいべ)、久米部
・ 工業: 玉造部、鏡作部、矢作部、鞍作部(くらつくりべ)、綾部、酒部、金作部、石部、服部(はとりべ)
・ 農業: 田部、大田部、天田部、額田部(ぬかたべ)
・ 漁業: 海部、池部、磯部
・ 狩猟: 鳥取部(ととりべ)、鳥養部(とりがいべ)、犬養部(いぬかいべ)

# 磯部は伊勢国造に属し、伊勢・志摩を中心に西日本に伸びている。
# 安曇氏配下の海部は阿波、丹後にもみられるが、どちらかというと東日本に伸び、尾張、信濃、下総などにも移った。
# 服部は伊賀の他、摂津、三河、美濃、備中にも広まった。
# 渡船業の渡部(わたりべ)、渡船部、渡守部は摂津国西成郡の他越前に。

■ 女系の天皇が今までいないのと同様に、一度臣籍降下して姓を貰ってから天皇になった人はいない。

■ 姓
・ 毛利氏の姓は「大江氏
・ 大友氏の姓は「藤原氏
・ 織田氏の姓は「平氏

■ 蘇我氏は「石川」氏へ、物部氏は「石上」氏に姓を変えたと言われる。

■ 中臣鎌足は蘇我氏を倒して大化の改新を推し進めた功績で天智天皇から「藤原」姓を賜った。

■ 日本一長い名字: 「勘解由小路(かでのこうじ)」「左衛門三郎(さえもんさぶろう)」などが字数では最長と言われています。【参考

■ 日本最古の家系図
815年に嵯峨天皇の命により「新撰姓氏録」が編纂され、これが日本最古の家系図?とでも言えようか??

■ 日本一古い名字
日本で一番古い名字は、日本で一番古い歴史書である「古事記」の中の神々の名前が連なる中で、「安曇_連(あずみのむらじ)」というのが最初に登場する人名と言われている。なお「連」は敬称とのことで、「安曇」というのが名字である。

■ 日本には実名敬避(けいひ)という習慣があり、水戸光圀と言わずに「黄門様」という通称で呼ぶ。名前を言うことは相手を侵す非礼と考えられた。
古くは、古代豪族大伴氏が、淳和天皇の時に、天皇の本名が「大伴」なので、「伴」と改姓した。また、加賀国に前田家が封じられた時も、加賀国の前田は「舞田」や「前多」「毎田」などに名字を変えたことがそれを表している。
「名字や地名」には霊が宿る。

■ 平安時代の後期以降律令制がくずれ、荘園管理の武士が発生。
鎌倉時代は分割相続だったので領地由来の武士の名字が増えた。
南北朝以降は長子単独相続になり、こういった現象は収まった。

■ 方位姓に「北」や「西」が多い理由
鎌倉時代の御家人は、平野部では無く谷間の入り口に好んで住みました。その方が攻められる方向が一方向なので守りやすいからです。この場合、米がよくとれるように、「東」や「南」に開いている谷を選び、領主である御家人や家臣はその谷の入り口に住み、領民は谷の奥、つまり領主の屋敷から見て「北」や「西」に住みました。これが「北」や「西」のつく名字が多い理由の一つと言われています。

■ 部(部民)
・ 大化の改新以前は、一般の人は朝廷や豪族の個々の支配下にあった。
・ 農業や漁業の職業集団を「部」又は「伴」といい、そのリーダーを「伴造(とものみやっこ)」といった。
・ 天皇・皇后・皇太子に所属するのを「御名代部(みなしろべ)」「御子代部(みこしろべ)」といった。
・ 長谷部(雄略天皇)、宇治部(応神天皇皇子宇治稚郎子・わかいらつこ)、矢田部は仁徳天皇皇后八田若郎女(やたのわかいらつめ)、日下部仁徳天皇皇子日下王・若日下王
などに属した私有民。

■ 名字と苗字: 【詳細
・ 名字は名田や通称由来で平安末期以降。
・ 苗字は江戸時代に、血筋を表す「苗」の字を使って、「苗字」とあてた。

■ 名字には、今川足利のように一子相伝の名字もあれば、渡辺佐藤のように、広まった名字もある。
・ 名字の発生地にはみられないが、周辺に見られる名字。
・ 自分の領地では、領主と同じ、名字を制限。

■ 名字の数
・ 昭和40年代にお名前博士と呼ばれた佐久間英氏が、実際に8万の名字を収集し、最終的には10〜11万と推計している。
・ 昭和63年に日本ユニパックがはじき出した数は約13万。ただ、読み方の違いなどを補正すると、約15万ではないかと言われている。
・ 森岡浩さんのサイトをみると「私は日本人の名字の総数は、十数万と考えています」とのことです。「決定版 新潟県の名字 森岡浩著 新潟新報事業社」にもそうあった。
・ 「日本家系図学会」会長、「地名を守る会」代表であった丹羽基二さんが平成8年に出した「日本苗字大辞典」によると、29万1531の名字が掲載。
・ 「あっと驚く 苗字の不思議 あなたの意外なルーツを探る(丹羽基二)」によると名字の数は約27万。
・ 武光誠さんの本では約29万。
※ 概して10万から30万と言われる名字の数だが、これは区分の仕方によって異なる。たとえば「漢字表記」で数えると約10万で、「読み」で区分すると約30万と理解すればいいでしょう。「上村」を例にすれば、漢字表記では「1つ」、「かみむら」「うえむら」と数えれば2つということです。

■ 名字の9割近くが地名と対応する。その7割前後は地名から名字が生まれたと言われる。残りの3割前後は名字から地名が生まれたとされる。
・ 名字から生まれた地名例: 六世紀半ばに日置の伴部(ともべ・下役人)が派遣されたことにより出雲国神門(かんど)郡日置の地名ができた。日置: 暦を作る人。

■ 名字の順位で十大姓で日本の人口の10%を占める。上位100位で人口の22%を占める。
# 第一生命の調査
・ 佐藤: 15.83%
・ 鈴木: 13.32
・ 高橋: 11.32
・ 田中: 10.61
・ 渡辺: 10.07
・ 伊藤伊東): 9.90
・ 中村: 8.64
・ 山本: 8.56
・ 小林: 8.12
・ 斎藤: 7.99

■ 名字の全国的普及
源義経が出した腰越状(こしごえじょう)。1185年に頼朝の不興をかった義経が出した弁明書。
江ノ電の江ノ島駅の近くに腰越駅がある。ここは、電車が一部道路を走り、路面電車になるので有名だが、この腰越という地名は腰越状にゆらいするのか?それとも、地名が先か?
本題にもどるが、どうして義経が頼朝の不興をかったのか?
それは、鎌倉幕府で源を名乗る人は限定されていたが、許されていない義経が源を名乗ったから?

■ 名字の変更が可能なのは? → 【名字の変更が可能な場合

■ 名字の法律 → 【名字の法律

■ 名字の由来
@ 職名(役職、職業、地位): 鍛冶、臣、魚屋。
A 事物名(動植物、器物): 亀、蛇、机、台。
B 美称名(瑞祥文字など): 宝木、増満、福。
C 個人名(特定の先祖、代々の名乗り): 源内、二郎、為貞。
D 神仏名(信仰由来): 稲荷、大仏(おさらぎ)、
E 賜姓(下賜された名称): 留目(とどめ)、日本(やまと)
F 渡来人、アイヌ、沖縄人の名称: 高麗、石狩、与那原。

■ 苗字のルーツ
(1) 名田説
(2) 通称説

■ 名字は家を単位に代々受け継がれるが、字(あざな)は当代限り。
相撲でいえば、二子山親方は代々受け継がれるが、大鵬親方は当代限りだったのと同じか?
字は現代でいえば、芸名やペンネームみたいなもの?
なんとか冠者、みたいなものか?
#  室町時代になって、名字と所領の地名との関係がなくなると、名の通った名字の保存にはしる。そうすると、嫡流が名字を独占しだした。徳川家が代表的。
・ 一子相伝?今川家もだったかなぁ。
・ 例: 富山の館家は、嫡流だけが館をつかい、分家は舘の字を使った。

■ 苗字は二字四音が多い。万葉時代には「於保之万(おほしま)」「也末毛止(やまもと)」と一字一音だが、後には大島山本と二字で書いた。これは、漢字があって読みができたのではなく、まずは読みがあって漢字を当てた。

■ 「森」には「神」が住み、「林」には「人」が住む。

■ 屋号由来の名字で、屋を省いたもの。
米、味噌、小豆、菜、魚

■ 山のつく名字で一番多いのが「山本」。田のつく名字で一番多いのが「田中」それをあわせたのが「山田」。「田」はパキスタンなどにおける「たん」と同じ語源で「国」または「土地」の意味。山田=ヤマニスタン。【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】より

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